キャリアアップ プリンセス☆ローズの目指せプロご主人様への道 未選択 忍者ブログ

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高校2年生は、非常に充実した時期だった。集団の中での一人ではなく、少人数制クラスの中で確かに自分のアイデンティティを感じられるようになっていたし、単純に勉強が楽しかった。

特進クラスは、先生たちも独特だった。物理の数式の美しさをひたすら語る先生もいれば、アメリカと比べて日本人の高校生の精神の甘さをひたすら非難する英語の先生。すでに年齢を重ねすぎていて、いつも肝臓が痛いと言っていたら、本当に入院してしまったけど、どんな数学の難問も回答してくれるカンゾー先生。このクラスの授業の為に引き抜かれた先生たちだけあって、授業の本質も、それ以外の雑学も授業はずっと面白かった。

2年生は勉強しかしなかったが、その本質が楽しかったのは恵まれていると思う。仕事が人生の1/3を占めているように、学生にとっては、勉強も人生の1/3を占めているからだ。多様性を知るために色々な生徒と仲良くするのも素晴らしいが、自分に合ったレベルの仲間たちと切磋琢磨する環境も、また素晴らしいものだと思う。

私立の進学コース特有で、通常授業のほかに補修は必修だし、長期休暇も講習があるし、家庭科や保健体育の授業は、年に1~2回しかなかったし、地理の授業をしているのに成績が世界史でついてるし、赤点が25点以下なのに、理系の科目の平均点が20点前後だし、授業のペースが超ハイペースで、2年までには3年生の内容がすべて終わっているという生活で、とにかく勉強が生活の中心だったけど、特に苦にはならなかった。

勉強にすっかりはまった?ローズは、自分自身の成績を上げるために、早起きの生活習慣をつけるとともに、お小遣いについても偏差値との連動性にしたら、モチベーションあがるんじゃね?と、ある日思いついた。

当時は、小学校3年生からの持ち上がり制で、お小遣いはおおよそ5000円近くまで達していたが、いまいち自分の成績が芳しくないのに、お小遣いをもらっていることが、自我が芽生え始めた当時のローズには許せなかったのだ。

そこで、ローズは父親に、模試の偏差値55を基準として、偏差値が1上がるごとに1000円。偏差値60~65については、1ごとに2000円。65以上については、1ごとに3000円欲しいと交渉をした。

その頃には成績が悪くても、模試の偏差値は、最低でも60はあったし、調子が悪くなければ、65前後はあった。

模試はだいたい3か月に1回は受けるので、15000円=偏差値65を取れれば、今の状況をキープできる。もし万が一偏差値70を獲得すれば3万円だ。などと考え、自分のモチベーションに繋げようと思っていた。

しかしこれが、間違いの始まりであるとともに、自分のモチベーションのひとつに狙い通りに繋がった。

当然といえば当然なのだが、模試の偏差値は、学年が進むごとに相対的に下がる。また、特進クラスは、通常の模試ではなく、ハイレベル模試を受験させられるので、偏差値65だと、東大クラスのレベルになってしまうのだ。

結果、月のお小遣いに換算すると、一時期は1000円くらいまで下がってしまった。実際、登校・下校の時に買い食いをすることはないし、勉強以外にゲームをすることもなかったが、毎週のジャンプを購入することもままならなくなってしまった。

確か、ちょうどジョジョが連載雑誌の移転をしたのに伴って、ジャンプも立ち読みに変えた記憶がある。だから実は、ナルト・ワンピースの初期は、あまり記憶にないのだ。600万部からの販売数降下は、ローズも主犯のひとりであった。

中学生ならまだしも、高校生には、これは正直きついな。と、思いながらも、反面、楽しんでいる自分もいた。その後、努力をしてたまに5000円をゲットすることができた時には、お金のありがたみをものすごく感じることができたのだ。ささやかなお祝いとして、近所のリプトンの安い紅茶パックとまずい肉まんとポテトチップを自分で購入した記憶があるが、あれが何より美味しいと感じるのも、不思議なものである。

ローズは、たぶん「逆境」が好きなのだ。勝負をすることが好きではなく、勝つことが好きな人が、この世の中の勝者ではあるのだが、苦しい中で、制限された環境で、勝負をすることに魅力を感じた人生を送ることになるのは、まだだいぶ先の話であった・・・。

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ヒトは大人になるにつれて自分が凡人だということを自覚していくが、それは私にとっては、高校生の時期だった。

小学生・中学生と特に努力をしなくても勉強という面では苦労をしなかったが、高校生ではそうはいかない。

入学時は、上位30位くらいだった成績も、1年生が終わるくらいには中盤くらいの位置になり、メガネをかけた人は頭が良いよね。と、いう数少ないアイデンティティも失われつつあった。頭のよくないメガネほど価値の無いものはない。

これは、困ったな。と、いうローズに、幸運が訪れた。ローズはすでに特進コースに所属していたが、なんと、来年から特進コースの特進クラスを作るという説明があったのだ。
世の中は、ちょうどドラゴン桜が流行り始めた時期だった。将来の少子高齢化を感じてたのか、私立の高校は、特に進学実績には敏感だったのだ。

私の長所は、恥知らずなところであるのだが、この時にも、その恥知らずな性格が幸いした。なんと、直近の成績では、学年の真ん中程度の成績にも関わらず、進学希望を、スーパー特進クラスで出したのだ。

今、思えばなんと恥ずかしいことだろうと思う。ある日、ローズは、F先生に呼び出された。

「進学希望がここだが、これは本気なのか?」

いきなりの質問に正直戸惑ったが、先天的に持っている「そのばしのぎ」能力で、咄嗟にローズはこう答えた。

「はい。もちろん希望します。私は、厳しい環境で伸びるタイプです。プライドが高いので、全体の中で下位は嫌なので、真ん中以上に入ろうと努力します。スーパー特進に入れば、より自分を伸ばせると思います。逆に今のままだと、真ん中の現状で満足をしてしまうと思います。」

今、思えばこんなクソみたいな説明で、よくスーパー特進クラスに入れてくれたと思う。
私の何を評価したのかは不明だが、F先生には感謝の気持ちしかない。正直、ここでスーパー特進クラスに入ってなければ、私は今とまったく違った人生を歩んでいたと感じている。

そうして私は、2年生からスーパー特進クラスに振り分けられた。そこは、全体で160名くらいいる生徒の中でたった17人しか所属していない特別なクラスであった。

2年生になってからは、私はとにかく絶望し続けた。さすがに私も気持ちを入れ替えて勉強をしたのだが、中間テスト・期末テストと受けるたびに、いつもクラスの順位は、17人中、17位なのだ。

2年生の2学期になるころには、学年全体での順位も上がってきて、学年で17位だったのだが、クラスの順位も17位だった。しかも、16位との差は、想像以上大きかった。まったく意味がわからなかった。

これには、私もさすがにまいった。今まで成績が悪かったのは、「自分が勉強をしていなかった」からだと思っていたが、「私が普通に勉強をしただけ」では、勝てないこともある。と、実感したのだ。

先に結果を言っておくと、このスーパー特進クラスは、過去にない最高の成績をたたき出していた。今まで日大から東大が出ることは、2~3年にひとりだったのだが、私の学年は、東大1・京大1・東工大1・東北大1の現役合格者を出していた。もちろん私も含めてその他の合格者も早稲田か慶応、最低でもマーチには軽く受かっていた。

一応、自分でプレゼンをした通り、だんだんと勉強というものが面白くなってきた。両親からは、再び塾に通うことを勧められたりもしたが、それは絶対に嫌だった。私立の高校に通ってるだけで月7万前後支払っていることに負い目を感じていたし、高校生くらいになると自我の意識が芽生えていたので、「誰かの力」で勝つのが嫌だった。

目の前に、自分より結果を出している「成功者」と直接コンタクトが取れるのはなかなか貴重である。

人見知りで自分からは心を開かないローズも、新しい環境ではどんどん積極的に話しかけた。物事を上達させるコツは、上級者と仲良くなることだ。私は東大に受かったS原君と仲良くなり、年がら年中質問をしまくった。
自分の生活習慣も見直した。受験には朝型が良い。と、いうあまり根拠のない情報を鵜呑みにしたのと、なぜかF先生は朝6時に学校に来ていたので、毎朝5時に起きて勉強し、朝6時には学校に登校するという生活にシフトチェンジをした。

その甲斐あって、2年生の後半になるころには、一桁の順位になることはなかったけれど、10番近くに近づくことができるようになった。

偏差値的には、おそらく10以上飛躍しているだろう。自分自身で考え、結果を出すことができた、初めての経験だった。



メイド!

ノマドの!!

会!!!!だよ。\(^o^)/



見ろ!!見ろ!!見ろ!見ろ!!
みんな見ろ。\(^o^)/

今まで私がどれだけメイド喫茶でパソコンをしていて、虐げられてきたか。\(^o^)/

一生懸命、カチャカチャしてるのに、無理やり画面を閉じられたり、コンセントを抜かれたりしてきたか。\(^o^)/

もうね。今はね。一人一台パソコンが当たり前なんだからね。\(^o^)/

会社で会議とかしたら、みんなパソコンをもってうろうろしだしてるんだからね。\(^o^)/

なんなら会議中にどうでも良い話題になってくると、みんな絶対、会議聞いてないで自分の作業をしているからね。\(^o^)/

私たちは、パソコンとともに生まれ、パソコンとともに生きていく、初めての世代なんだからね。\(^o^)/




オムライスのお題で、
「パソコンっぽいもの」で、
swiftやパイソンを書いてもらうことを、
ひそかに期待していたら、リンゴを書かれたよ。\(^o^)/

PHPとかせめて書いたら良かったのに。\(^o^)/

いやー。仲間がいるっていいなー。\(^o^)/


と、思ってたけど、周りが全員ガチプロばかりで引く。\(^o^)/

ギークな話題がwifi以上に飛び交っていて、私にはコンパイルできないよ。\(^o^)/

名刺もらったけど、当然かもしれないけど、結構社長率高くて、スタックオーバーフロー\(^o^)/

個人的に、大阪のコンカフェのお客さんって、技術者が少ないし、オタク的な人も少ないな。って、思ってたんですが、やっぱり探せばいるもんですね。私も大阪でノマドの会、開こうかなー。タイディカフェあたりが良いと思うけど。

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周りのみんながガチで作業してるので、私もガチで作業をするふりをしなくては・・・と、いうことで、一生懸命こんなこと書いてるけど、、、さぁ、何を書こうかなー。

ヴィランジェ、結構、上の音うるせーな。\(^o^)/

メイド、ノマドの会。と、いうことで、個人の主観による、オススメ、メイド喫茶情報でも書こうかなー。あんまりいいやつじゃないけど、とりあえず作業したふりしないと。\(^o^)/

全国100件以上メイド喫茶を訪れたご主人様がオススメする、今、大阪・日本橋で絶対にご帰宅すべきノマドに最適のお屋敷4選!

エントリーNO1
「カフェ・ヴィランジェ」

接客:★★★★
会話:★
ご飯:★★★
紅茶:★★★
珈琲:★★★★
お酒:★★★
広さ:★★★★
安さ:★★
混雑:★★
環境:wifi△・電源△
時間:22:00まで
制度:チャージ無し オーダー制限無し
総合:★★★★

大阪で一番有名ともいえるemaidの2号店。お屋敷の立地が、恵美須町から徒歩5分程度の路面店で好立地。お店が広いのでのびのびと作業をすることができる。最近、全体的に業界の接客レベルが下がってきたが、厳しい研修の下、確かな接客に安心できる。wifiは用意されているが、接続がいまいち悪い。また、電源も一部の席では可能だが、すべての席に用意されているわけではないのが少し残念。ただ、大人数でノマドをするには最適!


エントリーNO2
「アンダンテ」

接客:★★
会話:★★★
ご飯:★★★
紅茶:★★★
珈琲:★★★
お酒:★★★
広さ:★★
安さ:★★★
混雑:★★★
環境:wifi◎・電源△
時間:22:00まで
制度:チャージ540円/h→フリードリンク
総合:★★★

ロングスカートのクラシカル、といえばアンダンテ。こじんまりとした小さな空間であるが、逆に一人での作業などには、向いている適度なスペース。事前に予約をすれば、2階席の貸し切りなどで大人数のコワーキングも対応可能。母体の会社がIT系の会社なので、wifiの環境はかなり良い。1時間に必ず540円のチャージがかかるので、食事をする場合は、少し高めの値段になってしまう。その分、顔を覚えてくれたり、お話をしっかりとしてくれるので、作業半分、癒し半分くらいが希望の人には、オススメ。ただし、メイドさん個人によって、接客能力のブレ幅が多いので、自分に合うメイドさんを見つければHAPPY!


エントリーNO3
「ロイヤルパーティー」

接客:★★★
会話:★★★
ご飯:★★★★
紅茶:★★
珈琲:★★
お酒:★★★★★
広さ:★★★★
安さ:★
混雑:★★★★★
環境:wifi×・電源△
時間:25:00とか遅くまで
制度:チャージ無し ワンドリンク/1h
総合:★★★★

大阪・日本橋最強説。メイド喫茶というよりは、メイドコンセプトのバー形式。騒ぎたいと思えば、カウンターで楽しめるし、作業したいと思えば、ふかふかのソファでゆったりと作業することも可能。女の子の数が尋常じゃなく、料理とお酒の質も尋常じゃなく、仮に女の子が一切しゃべってくれなくても、問題ないレベルのクオリティと値段。混雑しているときには、かなりガヤガヤしているので、静かな作業がしたい人には、早い時間帯がオススメ。

エントリーNO4
「ミルクカフェ」

接客:★★★★
会話:★★
ご飯:★★★★★
紅茶:★★★★
珈琲:★★★★
お酒:★★★★★
広さ:★★★
安さ:★★★
混雑:★★★
環境:wifi×・電源△
時間:25:00とか遅くまで
制度:チャージ無し オーダー制限なし
総合:★★★★

元祖・ご飯が美味しい喫茶店。お酒やおつまみの種類も豊富だが、スコーンや紅茶については、日本橋で一番のクオリティを持っていると思われる。バー形式なので、少し薄暗いので目が疲れやすい人は、高級目薬が必要。全体的に雰囲気も良いし、文句のつけどころが無いのだが、あえて言えば、良すぎるところが、少し物足りないとか感じてしまうのが大阪の不思議な所。


思ったより、書けなかった。。。\(^o^)/
以上だよ。\(^o^)/
高校1年生ともなれば、背伸びをしたい時期であった。その当時は、マガジンで坊や哲が流行し、今は「カイジ」で有名になった福本先生が、「天」「アカギ」と麻雀漫画を地味にヒットさせ、ローズも例にもれず、悪ぶって?麻雀を始めた時期だった。

時期だった。と、いえども、打つ相手がいない。祖母の家に行けばたまに叔父が相手をしてくれたが、もっぱら相手はコンピュータだ。人と打ってこそ楽しい麻雀を機械相手に楽しんでいる。なんと哀れなことだろうか?

麻雀だけをしてもいまいち暇なので、BGM代わりに、趣味のテレビ番組を見たり、好きな音楽を聴きながら麻雀を無制限で打ち続けていた。

そのころはまっていた音楽は、エックスジャパン。チャゲアスも、TRFも当時は知らないくらい音楽音痴だったローズが、何故か解散したバンドにはまっていた。

そもそもの入りのきっかけは、のちに高校時代に尊敬することになる1年生の担任のF先生。当時の年齢は、30過ぎくらいで、さらさらの髪を真ん中から分ける、トランクスのような髪型だった。たぶん、今の私と同じくらいの年代だったのだろう。それなりに、生徒の指導経験も豊富で、かつ、若い生徒の気持ちもよくわかり、授業にも熱意のある、もっとも素晴らしい年代に巡り合えたのだと思う。

その先生がことあるごとに、エックスジャパンの魅力を語っていたので、それだったら一度聞いてみるか。くらいの気持ちで聞いたら、ドはまりした。

エックスジャパンの魅力を一言で言うと、、、よくわからない。音楽的には、今聞けばそんなにテクニックもないし、見た目のファッションだって、相当ダサい。

ただ、ダサいけど、人を惹きつける何かがあった。万能無敵の根拠のない勢いがあった。今で言えば、炎上商法というのだろうか?とにかくYOSHIKIがめちゃくちゃではちゃめちゃですぐ、ドラム壊すし、自分の体も壊して、ライブが中止になったりしていた。

戦略なのかたまたまなのかはわからないが、彼らの魅力を一番表していたのが、今でも珍しいライブ音源のCDを複数販売していたことだろう。ここには、動画はなくても、そのライブの「熱」があった。TOSHIのあおりは上手いし、やはりYOSHIKIのはちゃめちゃさはあふれていた。そして何よりhideが優しかった。まだ何物でもない自分も、いつかこんな風に大人と戦ってみたいと思っていた。

そんなこんなで漫画に、音楽、ゲームに、麻雀とこの世の春を謳歌していた高1時代だが、勉強面で振り返ると、最悪の時期で、夏が終わるととにかく赤点のオンパレードだった。

数学は、最初は80点、60点を取れていたが、2学期の中間で21点、期末で16点、学年末で18点と散々な結果だった。

念のため断っておくが、授業中に寝ていたわけではない。家で勉強することは確かに少ないのだが、ローズは、授業中は、一切無駄にしたくないので、全神経を集中して聞いていた。そして、授業中には確かに手ごたえを感じていたのだ。

まさしくこれが世の中の真理の一つ。「わかる」と「できる」の違いというものを、身をもって体験した。

確かに、授業の中でそもそもの「理論」は、理解することができるのだが、実際にそれをひとりで「やりきる」というのは、また別の能力だ。たくさん音楽を聴いたからギターを弾けるようにはならないし、たくさん野球の試合を見たからと言って、野球が上手くなるわけでもない。

「手を動かす」ことが何より大事であることを学んだ瞬間であり、高校受験に失敗してもなお、1年経たねば気づかなかった自分の甘さに、ようやく気づき始めた瞬間だった。

高校1年生は、最も時間に恵まれた時期だった。高校受験も終わって、勉強はしなくていい。塾は私立に入ったんだから、当然辞めさせられる。部活は学校が強すぎるからとても入る気になれない。(と、いうか能力が無いと入れない)通学の時間も片道10分足らず。

自分のしたいことを自由に許された時期である。これこそまさに「ゆとり」だろう。

このころの楽しみといえば、まず睡眠だった。単純に新生活の疲れというものと、成長期が重なっていたからなのか、どれだけ寝ても寝ても寝たりなかった。

高1の秋までは、ほとんど平日は9時くらいには寝ていたのではないだろうか?起床するのはもちろんぎりぎりの8時過ぎだ。天国過ぎる。

そして、相変わらずゲームや漫画も楽しんだが、高1になると、テレビに割く時間がかなり多くなっていた。そう。漫画やゲームや音楽と同じく、日本のテレビ業界も、失われた20年に花開いた文化があったのだ。

私が享受したテレビ時代は、たけし・さんまタモリのBIG3の黎明時代からダウンタウン・ウンナン・とんねるずの3強の時代から緩やかにスタートし、メインはフジテレビと日テレの視聴率争いに、テレ朝、TBSの新人放送作家が入り乱れるまさに戦国時代だった。
当時の流行は、ドキュメントバラエティ。土屋プロデューサーが作り上げた、電波少年・ウリナリの社交ダンスバラエティから、片岡飛鳥プロデューサー式のめちゃイケのSMAPライブ乱入などが大流行だった。

少年ジャンプと同じく、「頑張ればきっといいことがあるよ」「夢と感動が生まれるよ」と、いったメッセージは、音楽や漫画だけでなく、最大手のマスメディアからも、日本全体に発信され、また、そこに多くの人が感動・共感をしていた時代だった。

今では見るも無残な月9などのドラマにも、まだまだ勢いがあった。今までドラマなどほとんど見たことが無かった私でも、漫画の影響からか、GTOは、かなり楽しみな時間になった。

言いたいことも言えないこんな世の中じゃ。と、いう主題歌の時代も、今ではツイッターで何でも言えてしまう時代になったが、果たして言いたいことを言えるようになった私たちは、幸せになったのだろうか?

あまり語らないかもしれないが、私は、テレビ番組が大好きだ。特にあこがれるのは、明石家さんまさん。プレイヤーとしても一流だし、何より多くの人を「活かそう」という意識も見習っている。

私たちの時代のお笑いは、厳しい言葉での突っ込みやいじりが主流だったので、ついつい私もメイド喫茶では、厳しい言葉遣いをしてしまって、反省をすることが多い。

「いじり」と「いじめ」は紙一重。なんて、言葉があるけれど、私は「いじり」は「いじめ」にほぼ近いと思っている。いかにそれで笑いが取れたり、好感度が増したとしても、自身が傷ついたことと、それで得たものは、トレードオフの関係にならない。そもそもの「質」が違うからだ。本人が嫌だと言っていることは、いつだって、どんなことだって嫌なんだと、思う。

私は「笑い」も資本主義の考えなんだと思う。「笑い」と、いう資本主義構造、誰かが定めたグローバリズム構造に身を任せ、時には強引に巻き込み、強制すれば、富めるものもいれば、貧するものもいる。そこで嫌なこともあるけれど、それと同じくらい何かを得られるからそれでいいじゃない。と、考える人もいれば、プラスなんてそもそも生まなくていいから、マイナスの無い。平和で平穏で平坦な世界が良いよ。と、考える人もいる。

どちらが正しいかはわからないけど、過去にはきっと前者の考えが主流だったし、今はきっと後者の考えが主流なんだと思う。

絶対的王者だったさんまさんの好感度が今は落ちている。と、いうのを聞くと、正直寂しい。確かに彼は、時に強引だし、いつもうるさいけど、彼の周りの同業者への目線には愛があふれている。

だけど、今の社会は、それを感じ取れない社会になってしまったのだ。

メイド喫茶もずいぶん変わったな。って、思う。今のメイド喫茶で「君、全然可愛くないね」なんて、言ったら、冗談でも本当に出禁になってしまう世の中だ。

確かに、彼女たちの気持ちはわかるけど、最近とみに、「ファンのあるべき姿」を定義する、メイド、アイドルを見かけると、うんざりする。それならそれで別に構わないけど、そこで「演じられない」「本当の私」「と、いうかむしろキラキラした私だけ」を見つけてほしいと、言われて、どこが一体楽しいのだろうか?

最近、芸能人がどんどん事務所を辞めたり、独立したり、出家したりしているが、背景にはきっと、それだけ我慢ならないのっぴきならない事情があったのだろう。

私たちが享受した素晴らしい日本は、多くの犠牲のもとに成り立っていたのかもしれない。資本主義は、必ず誰かや何かを犠牲にして成り立っている。

まだ、何も知らない私たちは、その犠牲のもとに成り立った文化を大いに楽しみ、自分たちが消費される番になると、そんなのはおかしいと思います。と、喚き散らし、犠牲にならない。

いやはや、なんとも素敵な時代に生まれたような気分になる。

言いたいことを誰もが言えば、幸せの総量は上がったのだろうか?下がったのだろうか?
理論的には前者のはずだが、後者のように感じる私は、やはり恵まれた環境で生きていたからだからだろうか?

中学3年生の春はあっという間だった。特に頑張りもしなかった受験であったが、それなりに遊んでもいいじゃない。俺、つらかったし。と、自己弁護オーラを醸し出し、毎日毎日遊びまくった。

目標の高校には入学できなかったけど、通うことになった高校は自宅から徒歩7分程度の好立地だった。土浦日大高校。1学年に23クラスもある巨大マンモス高である。

田舎にしては珍しく、冷暖房完備で、校舎も7階まであった。体育館も、2階建てで、バスケットコートが4面、柔道場から体操場、筋トレルームまで完備されていた。

スポーツ特待なるコースがあって、確か男子のバスケットは、20年連続で県大会を優勝しているような強豪校だった。

中学生ギャップはなかったけれど、高校生ギャップは、かなりあった。まず、そもそも高校のクラスに知り合いが一人もいない。日大に進学した生徒はそれなりにいたはずだが、コースが大学進学をメインとした、特別進学コースだったので、校舎も外れにポツンと存在していたので、知り合いと会うこともほとんどなかった。

そもそも、土浦市内から通う生徒が少なかった。同じ市内のどこどこ中学。なら、まだ話も通じたが、藤代や竜ケ崎など、遠くの地域から通っている生徒のほうが大半だった。

駅から通学をしていれば、通学時に仲良くなることもできたと思うのだが、徒歩で通っている私にとっては、多くの生徒と帰宅の方向が真逆だった。

もともと自分から話しかけるタイプでもなかったので、最初はかなり孤立した。爆笑問題の太田さんが、高校時代に本当に友達がいなくて、休み時間はずっと意味もなく水道で手を洗っていた。と、いうが、私も休み時間は、意味もなくベランダにいた。暑い日も、寒い日も、いつでも変わらずベランダにいた。今みたいに携帯でネットが見られる時代でもなかったので、ベランダでずっと空を見ていた。

高校は中学と違って、校則もゆるかったので、ベランダで早弁もいていた。漫画を持ち込んで漫画を見たりもしていた。今は懐かしのカセットテープでのウォークマンをスピーカーにつなぎ、音楽を流したりしていた。

ゴーイングマイウェイの極地だった。

特にいじめられてるわけでもなく、寂しそうなわけでもなく、授業が始まるぎりぎりに登校し、授業が終われば即・帰る。休み時間にも誰ともつるまない感じが、なんかあいつ面白い。みたいな、感じで次第に人気が出てきた。

ローズに会うなら、ベランダに行こう。みたいな感じで、だんだんローズのクラスの男子は、ベランダで休み時間を過ごすようになった。

今、思えばこれがローズの個人パーソナリティかもしれない。自分からは歩み寄らず、歩み寄ってきた人にはとても好意的。

このブログを書いているのも、メンタリティ的には、ほとんど変わらないのだろう。

決して多くの友達はいなかったが、誰よりも自由と自分らしさを満喫した高校1年生の始まりだった。

人生で初めて立つ分岐点。自分の力で他人と競い、限られた席を奪い合う高校受験。結論から言うと、私は本命の県立高校には合格できなかった。

中1・中2は勉強のほうはわりと順調であったが、中3になるとさすがにそう簡単には行かなかった。

理由は簡単だ。単純に自分が勉強をしていなかったからだ。学校のテストレベルであればそれなりに対応はできたものの、実際の入試レベルになると、どうしても最後に5点から10点くらい足りなかった。

中学3年生にもなれば、そんなにバカではないので、模試の結果などを見ればきちんとこのままだとどうなるのか?と、いうことは理解できる。

私が受験した土浦第一高等学校は、だいたい偏差値で言えば67前後だが、私の模試の成績は、おおよそ65~67でふらついていた。

模試の判定的に言えば、「C」判定。おおよそ50%前後の確率で受かりますよ。と、いうのが表面上の意味合いだ。

このままじゃ落ちるよなー。

秋ぐらいの模試の結果を見て、自分ではそう判断していた。

でも、まだ本気で勉強していないし。
一度も合格点に達してないわけじゃなくて、調子が良いときには、届いているし。
全然足りないわけじゃないから大丈夫。

こういう考えをしている点では、本当は自分の状況をよくわかっていなかったのかもしれない。言葉は結局信用できない。人間は行動でのみ評価されるというのは本当だろう。

年が明けたくらいの時期だろうか?学校から自宅に直接電話が来た。

幸い?親が不在であったので、自分で電話で出たところ、「私立の推薦があるんだが、そっちで受験をしたらどうだろうか?」

私は即答で断りの返事をした。

ひとつは、自分が行きたかった高校以外に行くことはありえない。と、思った。ひとつは、推薦のうち、入学金のみが無料になる2種と入学金及び授業料が無料になる1種のうち、2種の方での推薦に、ひどく腹が立ったからだ。

電話の向こう側では、先生たちが、これは良い話だ。ローズも喜ぶだろう。と、いう感じのムードがありありと伝わってきたのも余計に腹が立ってきた。

結論から言うと、結局勧められた私立の高校に、一般の合格で入学をした。

今、思えばもっと大人の話を聞いておけばよかったな。と、思うとともに、本気で勧めるならもっと粘れよ。と、他人と大人のせいにする気持ちもかすかにある。

1月の下旬くらいに私立の高校、地元では定番の土浦日大高校と常総学院の2校を受けた。

結果は、ある意味予想通りのどちらも一般合格。土浦第一高校に入学する生徒は、最低でも入学金無料の2種特待。安定的に合格するのであれば、1種合格がひとつの目安だった。
その時期になると、周りの友人の合格結果もはっきりとわかってくるので、ますます自分の現状を把握できるようになっていた。

しかし、ローズはその段階になっても、
私立の試験は、英数国の3科目しかないからだ。自分の得意な理科と社会が無いから、本番ではきっと大丈夫。などと、思っていた。救えない。

結局その後も、塾では勉強をしたが、塾の休みの日は、せいぜい1時間に満ちない程度の勉強しかしていなかった。

合格発表の日は、仲の良い友達数人で結果を見に行った。不合格だったのは、ローズと、もうひとりだけだった。

みんなの前では、平静を装っていたが、自宅の途中に母方の祖母の家により、号泣した記憶がある。

あまり人前でそういうことをした記憶はない。今まで大して失敗をしたことがないローズの初めての挫折だった。

そんな姿を見た祖父は、近くのそば屋から天ぷらそばと、カツ丼を出前で注文をしてくれた。

ローズ、15歳の初めてのやけ食いだった。

2017年!!
2月26日のライムライトだよ!!











知り合いのイベントに参加するときって、誘われたから、まぁ嫌でもないけど、ノリノリでもない感じで参加するパターンと、ずっと前から楽しみで、実際に参加しても楽しいパターンがあるんだけど、ライムライトは、今、ローズが一番楽しみにしているイベントです。\(^o^)/


今日の料理は、健康マニア?のキャサリンさんが作る、根菜たっぷりのポトフ!!

正直言えば、ね。
薄いよ。\(^o^)/

ラーメンに、慣れ切った、味噌カツうめー。味噌煮込みうどんうめーと、感じてしまう関東舌かつ不健康独身の舌には物足りないよ。\(^o^)/

でも、味は、単純な「塩分」は薄いけど、出汁と素材のうまみがすごいので、全然食べられるよ。\(^o^)/

むしろ、こっちのほうが正しい味付け!!
私が間違ってた・・・。\(^o^)/


ライムライトは、津田という僻地中の僻地に存在しているのですが、最近、いつ行ってもだいたい満員なんですよね。

これ、やばくないですか?

往復の交通費で2000円近くかかるし、往復の移動時間が3時間に近いくらいなんですよ?

普通に近場のコンカフェに行って、2000円分、ドリンク入れたり、チェキ入れたほうが、たぶんちやほやされるよ。\(^o^)/


ライムライトの何が素晴らしいかというと、今は失われてしまった、きちんとした「接客」をしてるのがすごいなー。って、思うんですよね。

もうね。当たり前の当たり前だけど、お店に入った時に「ようこそー」って、言ってくれるし、1回おかえりすればだいたい名前を憶えてくれるし、ご飯を食べておなかが壊れたりしないからね。

それって当たり前すぎない?って、思われるかもしれないけど、その当たり前すら失われてしまった大阪の最後のメイドさんなんです。

これからもずっとずっと続けてほしいし、通い続けたいな。って、思いますね。


そして、ライムライトでさらに素晴らしいな。と、思ったのが、キャシさんと一緒に働くスタッフのすばらしさ。\(^o^)/


まず、あずきちゃんは、アンダンテ時代からずっと好きだったのですが、最近、さらにその毒舌ぶりに磨きがかかって、爆笑をこらえることができません。\(^o^)/

あの可愛い見た目で
「ほら、これがお前の紅茶だよ」
って、出されるんだけど。\(^o^)/


あずきちゃんについては、ひとつすごく印象に残ってることがあって、昔アンダンテにおかえりしたときに、入り口で対応をしてくれたときのことです。

その時、あいにく席がいっぱいで、あずきちゃんは素直なので、すいません。いっぱいなんです~。と、教えてくれたんです。

ああ、そうか。いっぱいなら仕方がない。と、いうことで、別のお店に行こうとしたら、後ろから雨さんが追いかけてきて、「席ならあります、どうぞ」と、案内してくれたんですね。

そして、席についた後、入り口から雨さんの声が聞こえてきました。

「席の入れ替えすれば、まだまだ入るじゃないか。しっかり頭使って働きな!」

昔のことなので、多少細かい言葉違いは違うと思いますが、たぶんこんな感じだった気がします。

今だったら、と、いうか当時でもパワハラに近いのですが、そういうふわふわした頼りない感じの女の子だったのですが、今は、見た目は幼女で仕事ができる。と、いう最強のメイドさんになったなー。って、思います。


そして、たぶん今一番に近いお気に入りの?メイドさん?が、なおちゃんです。\(^o^)/
この子は、かなりのポテンシャルを秘めている。\(^o^)/

もともとツイッターで見る限り、モデルさんのお仕事をしていて、美人でスタイルが良い人だなー。って、思っていたんですが、実際に話すと、結構しゃべれるよね。

モデルさんって、なんとなく、あんまりこういう活動には積極的じゃないのかな?って、最初は思ってたんだけど、最近は、ライムライトにたくさん入ってくれてり、あん様とハイスコアとかもやってくれてかなり印象が変わりました。

まず、最初にびっくりしたのが、料理が、上手い!!







今日のライムライトで食べた豆腐のスコーンは、豆腐の味がきちんとするのに、ぱさぱさしてたり、甘みが不足してる味じゃないの。
豆腐を使ったからこそのうまみ成分と、あっさり加減は、プロの仕業としか思えない。\(^o^)/

お菓子だけじゃなくて、料理も上手。

この前のハイスコアの料理も普通においしくてびっくりしました。料理もおいしいけど、お菓子の方が驚きかな?負けず嫌いな面と、確かな味覚を持っているのがお勧めです?

次にびっくりしたのが、お客さんへの意識が高い!!

モデルさんって、(と、いうか昨今のアイドルっぽい人)たちは、それはそれは地味な作業が嫌いなのですが、なおちゃんは、一般的な常識があるのでしっかりと働いてくれるので安心感がありますね。

もちろん単純なお給仕力だけじゃなくて、会話もなかなか面白い。

なおちゃん「あー。あんちゃん病にかかってしまったー」と、叫んでいるので「あんちゃん病って何?」と、聞くと、言われたことをすぐに忘れちゃう病気。って。

短い付き合いで人を見抜くのが上手い!\(^o^)/

そして最後は、これは私が言うまでもないんだけど、やっぱりすごい歌唱力!!

歌が上手いアイドルさんは多いけど、萌えしゃんどんがなくなった今は、個人で好きな歌をリクエストできる機会がほとんどなくなったので、今日は普通に楽しかったな。

ハイスコアでも歌のリクエストはできるけど、やっぱりあのダークな?雰囲気は、歌を楽しむという意味では、少し違う気がするし、カフェ的なところで歌が聞けるライムライトに、なおちゃんはぴったりかもしれないですね。

次回のお給仕も楽しみです。\(^o^)/





いぇーい。\(^o^)/
茶碗蒸しラーメンだよ。



まさかのラーメンにパンがつくとはね。\(^o^)/

これ、追加でライスを頼んだら、
麺・パン・ライスの夢の炭水化物フルコースやないかー。\(^o^)/

昔食べた時には、もう少し美味しいなー。って、感じたはずなのに、久々に食べたら、そうでもなかった。\(^o^)/

私自身の好みが変わったのでしょうか?
それとも相手の好みが変わったのでしょうか?

生きるということは、常に自分自身のパラメータだけに限らず、周りのパラメータが変わるから、いつも同じ結果、すなわち「安定」を求めることって、本当に難しいですよね。相手が変わるならば、自分も変わらなければ、相対的な中心を保てない。


さて、2月だけで終わろうと思っていた私の履歴書ですが、ひと月かけて、ギリ義務教育が終わった段階なんて、驚き、桃の木、西城秀樹。ですね。\(^o^)/


クソつまらないでしょう?
クソつまらないよね。\(^o^)/

だって、マジで誰のために書いてるわけじゃなく、究極の自己満足だもの。\(^o^)/

人間が問題を起こすときは、だいたい「孤独」が問題で、「孤独」を解決することは、だいたいお金がかかるのだけど、それさえ克服すれば、実は世の中を生きるのは、低コストですよね。

資本主義は、最近世界中を巻き込んだ金銭ゲームになりつつあるけれど、誰かに認められたい、多くの人に褒められたい。と、いう欲求もネットを通じて大いなるグローバリズムに巻き込まれつつあるね。

コンプレックス産業は、怪しげなさーびす業のセオリー中のセオリーで、いつまでたっても、人は人からの評価、ハゲ・デブ・ブス、都会のキラキラ、から逃れられないみたいですね。可愛いは正義。と、いう洗脳。

洗脳といえば、最近アイドルが事務所に嫌気がさして、出家したというニュースを聞きましたが、これもまた「孤独」が寂しい症候群ですね。神ってる。\(^o^)/

そんなに「世間」とかかわることが嫌なら、自分自身で引きこもればいいのに。自己満足のようなブログを書いたり、絵を書いたり、料理をして生きていけば、別に「誰かに頼る」必要もないでしょう。

ひとりじゃない。守ってほしい、認められたい。ために、コストを払い続けるなんて、まだまだ本当の「出家」じゃないね。ローズをもっと見習いなさい。\(^o^)/

そうそう。最近聞いたニュースでひとつ面白いな。って、思ったのが、中学生くらいの社会の教科書で、江戸時代の外交政策を「鎖国」と呼ばなくなったんだって。

実際には、いくつかの国限定で貿易してたから。って、言うんだけど、これってグローバリズム政策を推進したい政府の陰謀かな??って、思ってしまうよ。

個人的には、あの鎖国こそが、日本が日本足りえた至高の政策だと思っているのに。

多くの人を平和にするためのグローバリズムが、多くの人を不幸にして、搾取し、システムに組み込むだけの思想なんだったら、いっそのこと、すべての通信機器を破壊して、国境の壁と関所を設けて、分断したほうがましだと思うのは私だけ?

確かに小さい世界では、腐敗もあるし、偏りも生まれるけど、1000人規模の偏りであれば、それはそれで苦しいけど、それなりの生活が送れると思うのだけれど。

と、いう感じでローズは3月も元気に引きこもりますよ。\(^o^)/

2月半ばくらいまで早く働きたいと思ってたけど、もう働かなくて、いいや。\(^o^)/

それでは皆さま。どこかでお会いしましょう。\(^o^)/

2月26日(日)

キャシさん@ライムライト
ふうたん@クラムカフェ

3月3日(金)

ノマド@ヴィランジェ


3月4日(土)

ふうたん@ロイパ

3月5日(日)

ふうたん@会議

3月13日(月)

ふうたん@コクリア

3月19日(日)

ストフェス

3月29日(水)

ふうたん@マーキュリー(たぶん)

4月14日(金)

ふうたん@マーキュリー(たぶん)

4月16日(日)

ふうたん@メレ

4月22日か23日

ハンプトンコート(たぶん)
文章を書くのが好きだな。と、思ったのは、小学校2年生くらいの時だった。学校の授業で作文をする時間があったが、他の生徒たちが全然筆が進まないをよそ目に、原稿用紙1枚、2枚とすらすらと書き進めていったのを覚えている。

2枚は最低書くように。と、先生が言っているのを聞きながら、こんなの4枚でも5枚でも書こうと思えば書けるのに。と、心の中では思っていた。

内容が、面白かったか。と、いうとそうではないと思う。

内容に、独自性があったか。と、いうと、そうでもないと思う。

特に作文などのコンテストで、賞をもらったわけでもないし、ただ、原稿用紙を埋めているに過ぎないのだけれど、今思えば、小さいころから文章を書くのは好きだったんだな。と、思う。

それが改めてはっきりとしたのは、中学校の卒業文集だった。大方の学校のイベントも終わり、学校は自然と高校受験と卒業という一大イベントに向かっており、誰もが義務教育の時間の終わりを感じている時期であった。
うちの中学校が、また自由な校風だったからか?卒業文集が、特に制限が無い。と、いうふざけた制度だったのを思い出す。

普通は、テーマだったり、枚数だったりを決めるべきとも思うのだが、改めて思えば、中学校時代に感じたことは、人ぞれぞれであり、表現の自由の観点から、長さや内容で判断すべきではないのかもしれない。と、思う。
20代になってから、30代になってから。と、何度かその文集は読み返しているが、我ながらなかなか面白い出来だなー。と、思う。今のスタイルと基本は共通で、真面目な文章を書きながらも、ところどころ、非常に内輪的なボケを挟んでおり、確かにその当時、その場所にいた人しかわからない「鍵」のような内容を入れているのは、変わらないな。と、思う。

知らない人が読めば何気ない文章でも、時間が経っても、「その人たち」が読めば思い出せる記憶。

音楽がその時代の思い出のしおりになる。と、いう言葉があるけれど、文章だって、その時の思い出をよみがえらせてくれるんだな。って、思う。

当時は、ちょうど世の中に「パソコン」と、いうものが流行り始めた時期。卒業文集も、もちろん今と同じくキーボードをたたいて書いた初めての作品だ。

世の中はまだ、PHSが出来始めたくらいで、ポケベルで数字のやりとりをするので精いっぱいだった。

ウィンドウズがようやく流行りだし、マイクロソフトが世界の覇権を握ってはいたけれど、ブラインドタッチもできない幼い私たちは、卒業文集を書くのにも、たしか5時間6時間はかかっていたはずだ。

今の子供たちがスマホと一緒に育っていった初めての世代なら、私たちはパソコンとインターネットとともに成長していった初めての世代である。

中学校3年間の生活を、確かに卒業文集という形に残したローズは、いよいよ義務教育を終え、自立した高校生活を迎えることになる。


中学3年生といえば、初めて関西を訪れた年でもあった。

関東の遠足・修学旅行の定番は、やはり奈良・京都だろう。小学生のころには、茨城県だと、だいたい東京までが限界で、中学1・2年生の頃になると、何故か東京ディズニーランドが遠足先になる。

あとは、プライベートで関西を訪れていれば別だが、おそらく関東の人間にとって、京都や大阪は、そんなに興味が無かったのが事実だ。やっぱり、北関東の人間は、東京にあこがれる。

話は家庭の話に変わるが、ローズの父は、家族孝行?と、いう面でも非常に優秀だったな。と、感じる。特別贅沢な食事ではなかったけど、月に1~2回は外食を心がけていた?し、年に1~2回は、国内旅行を心がけていた。

最も父にそんな気遣いがあるとは思えないので、あの頃の幸せな家族像。を、周りに合わせて?人並みに実現していただけかもしれない。ただ、それでもそれなりの父親を演じきった父親は、いまだ何も成し遂げていない私にとっては、素晴らしい人生だな。と、思う。

ただ、中学生も年頃になると、そういう旅行等のイベントは、積極的に参加をしなくなるものだ。

やっぱり家族といつまでも仲が良い男子は、不健全だと思うし、そもそも親も子供の流行廃りをとらえきれていないので、会話がかみ合わなくなるのは当然の真理だと思う。

その点、同じ年頃の友人たちとの旅行は、非常に楽しみなイベントのひとつであった。

私たちの中学校は、自立心を高めるためか、先生たちの管理・監督業務を緩めるためかは不明だったが、京都で一日自由時間というものが設けられていた。なんと学校側がタクシーを借り切ってくれて、自分たちで京都の散策計画を立てられるという、なかなか素晴らしい内容だ。

私はそこで提案をした。
「そうだ、大阪へ行こう。」

提案は、却下された。

一応事前に先生たちに当日の計画表を提出して審査を受けなければいけないので、ローズのナイスなアイデアによる大阪訪問は幻となってしまったのだ。

おかしな話である。自分たちで考えて、自分たちが見たいものを見なさい。と、言っているのに、その約束を反故にしたのだ。大人はなんて汚いのだろう。

仕方がないので、ローズは真面目に考えた。確か当日のメンバーは、4人で一組の班だったが、それぞれメンバーが行きたいところを回ろうという話になった。

ローズが選んだのは、①漬物が美味しいお店②京都で一番美味しいお茶を売っているお店をタクシーの運転手に教えてもらおう。だった。たしかそこで100gで1万円のお茶を買った気がする。ローズはちょっとかわいそうな子だった。

実際には、金閣寺や銀閣寺や竜安寺なども回ったが、正直あまり記憶には残っていなかった。(地理的にめちゃくちゃなスケジュールだよね。)

どちらかというと、餃子の王将ってなに?すげー。とかの方が印象に残るタイプだった。
ただ、、初めてお寺的なものを回ると昂奮して、むやみやたらに「写ルンです」で写真を撮っていた記憶がある。

撮った時には、最高の素材を、最高の腕で切り取ったな。なんて、思っていたけど、あとで現像してみれば、なんてことはない。普通の風景がだった。技術が発達しても思い出はカメラに残せない。

今回の旅行に限らず、ローズは友人と大貧民をするのが大好きだった。のちに麻雀も大好きになるが、やはり大貧民のほうが、ルールが誰にでもわかるので、敷居が低い。

ローズが好きなのは、
①6人か9人でやる
②階段有り
③縛りあり(ハートなどの絵柄)
④8切あり
⑤ジョーカー単体はハートの3で倒せる
⑥一度パスしたらそのゲームは出せない
⑦大貧民からスタート
⑧大貧民は2枚交換
⑨貧民は1枚交換
⑩ジョーカーは2枚
⑪ジョーカーは、どのカードでも代替可能
⑫革命有り。
⑬イレブンバック・都落ちはどちらでも
⑭上がった場合に誰も出せない場合は、その次の人から。
と、いう結構きつめのルールだった。

これを9人でやると、ひとり6枚しか配られないので、大貧民は、リソースの33%を削り取られることになる。

ましてや6枚しかないのに、4枚を使用する革命など起きようがない。正直このルールでやると、8以上の数でもはや出すかどうかをためらう。そこをどう覆すかが面白いのだ。
麻雀でも大貧民でもそうだが、対面の競技は、やはりその人らしさが色濃く出るな。と、思う。最近は人狼ゲームが流行ったりもしたけど、やっぱりルールがあいまいなゲームより、ある程度勝ち負けのルールがはっきりとしたゲームのほうがすっきりするな。って、思う。

と、いう感じで、宿舎に戻ってからは、特に男女関係のロマンスがあるわけでもなく、ひたすら男子だけで大貧民を続けた修学旅行の夜であった。

家族用にお土産の生八つ橋を5箱買ったのに、家に帰るころには、ひとつも残ってなかったことが、いい思い出である。。。

>のえるちゃん

コメント気づかなかった・・・。\(^o^)/
アイドルに年齢なんて関係ないよ。\(^o^)/

キャシさんと同い年だったら、しょこらさんとかばにらちゃんと同じ年齢じゃない??\(^o^)/

ナスカ系列に通うなら?その本はお勧めなので、ぜひ活用してモテモテになってね。\(^o^)/
中学3年生は、気づけばなぜか合唱部に入っていた。最初は男子が一人で、その他は全員女子だったので、それはエライハーレムだった。その後、同学年の友人や、後輩の男子が何人か入ってきたものの1:9くらいの今、思えばJCに囲まれたうらやましい生活だった。

どこの中学校でも、年間の行事として盛り上がるものがいくつかあると思うが、うちの中学校は、陸上大会・運動会・合唱祭の3つだった。中でも、11月の深まる秋の最中に行われる合唱祭は、クラスの仲の良さも深まってくる時期なので盛り上がりも格別だった。
先に言っておくが、ローズは、この合唱祭で3年連続優勝をしている。1学年9クラスあるなかで3回優勝するのは、1/1000に近い確率なのでなかなか珍しい体験だと思う。そして、それは他の人とのめぐりあわせもあるが、ローズのおかげであることは疑いようがない。

大人になって思うが、人が人に与える影響というのは、なかなか大きな力を持っているな。と、思う。

コンカフェでもアイドルのオタク層でも、人が人を集める能力はかなり大きい。コアとなる人がその他の人の行動に影響を与えることもあるし、逆に退化をさせられてしまうこともある。

優秀な会社は、やっぱり文化や風土として、集団が個人に与える影響が大きしい、成績を残している部署や支店はコアとなる人の勢いや熱意が周囲に伝わっている。

個人、個人の能力というのは確かにあるが、組織として生きている人間の中では、周りへの「巻き込み力」というのは、確かに存在するし、貴重な能力である。

確かにローズは、授業の自習時間にトランプで大貧民をしていて、担任の先生から殴られてメガネを吹っ飛ばされているし、教室の時計を7分くらい進めるという、地味な仕掛けで授業を早く終わらせたりはしていたが、やるべきことは、結構まっとうにやるタイプであった。

ローズは中途半端が嫌いだったし、今も嫌いだ。ちょうど中学3年生くらいになってくると、頑張ることがかっこ悪い。みたいな、感じで悪ぶってみたり、手を抜いてみたりする人が出てくるが、最高にくだらない。貴重なプライベートの時間を削ってまで練習をしているんだから、死ぬ気でやれ。終わったら、俺はさっさと帰る。と、いう謎のスタンスだったが、練習は真面目にしたので、だいたいどのクラスでも好成績を残せた。

こういう文化的なイベントは女子が頑張るが、男子は頑張らないので、男子を頑張らせれば勝ちなのだ。

しかし、今思い返せば、学校でのだらだらした時間。と、言うのが心底嫌いだった。イベントでの練習でも、学校の授業が終わった後でも、部活の前後でも、「なんとなく」みんな一緒にいる謎の時間。が、理解できなかった。特定の誰かや何かを待っているわけでもなく、特に理由もなく、時間をつぶすような?時間が共感できなかった。

最初は、なんとなく周りの空気に合わせよう。と、思った時期もあったが、すぐに目的を持った時間の共有が終わったら、姿を消す術を身につけた。これは、社会人になっても変わらず、周りに合わせる。と、いう能力を若いうちに身に着けなかったことは、幸いだったと思っている。

ちなみに冒頭で話に出た合唱部の話だが、3年から急に始めたので、NHKコンクール的なものにも参加したが、もちろん結果を残すわけでもなく、あっさりと敗退した。

今思えば、このころから、男子と過ごす時間よりは、女子と過ごすことの方が多い運命だったなー。と、しみじみ思う。

今、思い付きで秋の話をしたが、修学旅行の話をしてなかったので、次回は、修学旅行の話に戻っちゃう。待て。次回。寒い。

あの頃の○○に 僕らは立っているのかな。
さぁ、○○に入るのは何?
そう、未来ですね。未来。

最近話題になったジャスラック様ですが、本当に歌詞の一部引用しただけで、ブログの削除求めるメール来ますからね。歌詞のすべてをつなぎ合わせたら、きっとだいたいの文章がかけると思うのですが・・・。

と、いうことで世の中はきっと1997年くらい。テレビをあまり見ていなかった私にとっても、スマップは、自分たちの時代を代表する象徴でした。

とはいえ、やっぱり全然音楽や芸能には疎くて、中学校の運動会で先生が仮装していた爆裂お父さんも、卒業式で流れていたBELOVEDがGLAYだったことも知らない、世間知らずな引きこもりでした。

漫画とともに愛していた趣味の一つだったゲームですが、その当時は、プレイステーション、セガサターンの新規参入により、世の中は、新ハードの大激戦時代を迎えていた時代でした。

好き好き大好き任天堂信者であった私にとっては、プレイステーションは憎き敵であり、これからの時代が見た目だけがちやほやされる時代になってしまうのか。と、未来に不安を抱いていた時期でした。まだまだカクカクのポリゴンなのに。

任天堂の何が良いの?と、聞かれれば、それは一言で言えば「愛」。ゲームへの愛情があふれるほどあふれる、一番ゲームが好きなのが、まさしく任天堂なんじゃないかと思えるソフトとハードの完成度なのです。

漫画でも映画でも将棋でも音楽でも仕事でも。人と人が触れ合えば、それはすべてが「
会話」なわけで、ゲームを通じて、その背景から語られるコミュニケーションこそが、時間と空間を超えた同じ趣味・価値観を持ったもの同士の交流なのでした。

メイド喫茶もそうなのかもしれませんが、「制限」があるからこそ「ゲーム」は知れません。力のパラメータの上限が255なのも、経験値の上限が65535なのも、あの小さな小さな魔法の箱に秘められた無限の、だけど限られた情報が私たちを、本当のリアリティある仮想空間へと連れて行ってくれたのでした。

「見た目」と「中身」は、世の中だけじゃなくて、ゲームの世界でも連動していて、だけど、世の中がここまで見た目だけにとらわれて「工夫」しなくなるのも寂しいな。と、思います。

最近スノウに甘えて自撮りが盛れない。と、いう謎の言葉がありますが、まさしく限られた環境の中でこそ、人は「工夫」し、「進化」していくのだな。と、感じます。

と、今日はあえてわかりづらい感じで投げやりで終わる。なぜならお酒を飲んで頭が
痛いから。。。

お酒を飲むと頭が痛くなることなんて知らなかった、中学生の話はもうすぐ終わります。

寒くてパソコン打てないので今日はおやすみ。\(^o^)/
この本は、メイドさんにも、お客さんにも、オススメ。\(^o^)/



中学3年生の一年が始まった。成長著しいこの時期は、まさに日に日に身長の物理的な伸びを実感できる時期で、毎朝起きるたびに今日も伸長伸びたなー。なんて感じていた。

最近は、10歳になると二分の一成人式などをやることが流行ってるようだが、私たちは14歳の時に、立志式というよくわからないイベントを行っていた。おそらく昔の時代に元服する年だから大人だからなんだとかかんだとかと、いう具合の大人都合のイベントだ。

バンジージャンプをやってみたり、一人で獲物を狩りに行ったり、そういう精神的な儀式が大人になるために必要なのかはわからないが、周りもみな声変わりもほとんど終えて、見た目の外見は、顔を除いてはほぼほぼ大人とさほど変わらない年頃になっていた。

と、同時に勉強についていけない生徒の中には、反社会的な行為を行う生徒もちらほら耳にするようになった。万引きだったり、タバコを吸う生徒も実際に私の付き合いの友人にも何人かいた。

「ダメだよ。そんなことをしたら!」なんて、ことを注意をしたりはしなかったが、自分は絶対にせず、こいつらあほだなー。と、思っていた。

当時はなんでこの人たちは、わざわざこんな小さなことをするんだろう。と、思っていたが、今になって思い返せば、当然のことだろうと思う。

世の中には勉強が得意な人も、得意じゃない人もいるのに、ただただ勉強という能力だけで人を判別し、序列を社会はつけていたのだ。

もちろん勉強が世の中の役に立たない。なんて、いうつもりはない。実際に必要なことではるのだから、それを「可視化」することは大切だろう。

ただし、これは社会人になってからもそうだが、あるルールに基づいて序列をつけるなら、明確なルールとサポートが必要だ。

勉強ができない人は、なぜ勉強ができないかというと、そもそもやり方がわからない。と、いう点と、中学生以上になっている場合、小学生の内容がすでにわからない。つまり、学校の授業すべてがミスマッチ。と、いう状況に陥ってしまっているからだ。

しかし、日本の教育は、無駄に「平等」を謳っているため、誰もが平等に。の、部分が、勉強ができない人たちを逆に生み出してしまっているのだ。しいたげられた人々は、おとなしくそれに無気力で従うか、自分が考える新しい秩序を生み出すために、戦うか。その二つしかない。

最近話題になっている、出家騒動も、アメリカ大統領の誕生も、すべて虐げられた人の新しい価値の獲得に向けての戦いで説明できると思っている。

形だけでなく、世の中の平等を本気で目指していくのであれば、すべての多様性を認め、すべての弱者へのサポートを(才能のある、恵まれた人)こそが、率先して実施していくべきなのだ。

中学3年生は、また受験生の季節。初めて勉強という価値観で社会から評価を受ける中学生にとって、そういう意味での教育はまだまだ少なかった。それなりの才能を持ちながらも、結局勉強をしなかったローズは、初めての挫折を迎えることになる。


中学2年生といえば、オタクにとっては中2病の季節だが、一般人にとっては異性に興味を持つ、恋とオシャレの時期でもあった。

田舎の中学校ながらも、周りは髪をジェルで固めてみたり、スカートを短くしたり、眉毛を細くし過ぎてみたり。外見で大人らしさを主張するお年頃の生徒が増えつつあった。

普通に彼氏彼女の関係も大っぴらに公表されるカップルも増え、リア充とオタクの格差が徐々に広がる時期でもあった。失敗するなら若いうち。と、いうのは、あの頃の自分にアドバイスしてあげたい。

ちょうどその頃は、広末涼子全盛のアイドル時代で、他にも内田有紀などアイドル女優?が、世の中では流行っていた。なんとなくだが、女性といえばロングヘアーから、ショートカットの魅力が認知され始めた、昭和から平成への移り変わりの時期だったと思う。

ただ、残念ながらローズはアイドルなどに全然興味が無かった。これは大変申し訳ない話だが、ローズは人の顔を覚えるのが結構苦手だ。

そのお店という場所で、その服装で、その髪型でいてくれるからメイドさんやアイドルさんを認識できるが、正直髪型を変えられたり、私服になったらまったく見つけられる自信が無い。これは会社の人と休みの日などに約束をするときでも同じだ。携帯やLINEが普及してくれたことを大変ありがたく思う。

好みの顔。など、聞かれるが、なのでローズは正直顔にはこだわりがなかった。確かに、可愛い、可愛くないを認識する力はあるが、ある程度以上のレベルであればそれで十分だと思う。

よく、顔じゃなくて中身を見てよね。と、いう女性もいるが、逆に中身を見て本当にいいの?と、思う。見た目はどれだけきれいにできても、心のカラコンも心のSNOWもありませんよ?

と、いうと初恋の人がさぞや心が美しい人かというと、特にそうでもなかった。写真も当時は、比較対象が田舎だったから可愛く思えたが、都会できれいなメイドさんやアイドルさんに見慣れてしまうと、全然普通の女の子だな。って、思う。

セーラームーンで言えば、ジュピターのまこちゃんに似た、ちょっと勝ち気で元気な、ポニーテールの似合う女の子だった。の

恋に正しさや理由なんていらないと思うが、とにかく中学2年生のとき、私はさえちゃんのことが好きだった。そして、中2病の私は、好きだと思い始めた瞬間から避けだした。
今思い返して、一番あほだなー。と、思うのは、バレンタインのチョコレートをもらった思い出だ。

今まで義理チョコはもらったことはもちろんあったけど、好きだとはっきり認識している女の子からチョコをもらえることなんて、そんなに異性に興味が無かったローズ氏でも、気分はだいぶん高揚していた。

チョコをもらっても、「ああ、うん。ありがとう。」なんて、そっけない返事をしていたけど、内心速攻でいえに帰って、ひとりで部屋に閉じこもって、どんなチョコが入っているのか確かめたくって仕方なかった。

だって、もしかしたら手作りのチョコかもしれないし、もしかしたら、愛の言葉をつづった手紙が入ってるかもしれないし、もしかしたら、今日の夜に公園で待ち合わせとか書いてあるかもしれないじゃない?

でも、どれだけ素敵な未来があったとしても、そんなことを家族にも誰にも知られたくないから、早くひとりになりたい。と、思うのが、中学2年生くらいの男子の思考回路だったのだ。

ドキドキしながら家路についたローズは、速攻で自分の部屋に入ってもらった袋の中身を見てみた。

・・・義理チョコだった。

恋愛偏差値が低すぎるローズにとって、手作りのチョコか、なんかやたら大きいチョコが本命チョコだと思っていた。なので、小さいチョコが入ってる時点で、あ、やっぱりそんなにローズが好きなわけじゃないよね。と、思った。中2くらいからだと、結構男子にチョコ配る女子増えるしね。まぁ、ないよりはいいよね。と、やたら美味しいチョコを一日一粒ずつ楽しんで食べた。箱は、オタクキモいので、とりあえずそっと自分の大切なものBOXに入れておいた。

と、いう思い出があるのだが、大人になってから箱をよくよく見返してみると、あのチョコ、ゴディバだったんだよね。たしか、3~4粒くらいしか入ってなかったんだけど、そもそも茨城の田舎でゴディバのチョコなんて買えるか疑問だったし、値段も1000円以上はするから中学生にとっては、まぁまぁ、良いお買い物だったんじゃないのかな?っ、今は思い込むことにしています。

メイド喫茶もそうですが、俺、好かれてる。推されてる。と、思いこむことが一番の楽しみ方ですね。

>のえるちゃん

あら。アンダンテのメイドさんには特にブログのこと話さなかったので、
ばれてないと思ったのですが、世の中、怖いですね。\(^o^)/

私がオタクを辞めなくて。
のえるさんがアイドルをやめないかぎり。

いつかどこかで会えますよ。\(^o^)/

今は、予定がわかってるから便利ではあるけれど、
予定がわからないで会えるのもまた良いですよね。

ぜひその時を楽しみましょう。\(^o^)/


>あおいちゃん

家族・・・だから。
ひとりと、かぞく、、、違うから。\(^o^)/

食べ物はもちろんいいものを食べたほうがいいけど、
お金には限りがあるので、どこに何をかけるかですよね。

大事なものは人それぞれだから、
大事なものにお金をかけると良いと思います。
あ、メイドとアイドル以外ね。\(^o^)/

ちなみに、ローズ、ホットケーキ焼けてるから!!
ホットケーキミックス使わないけど、ふわふわだから。\(^o^)/

ステーキは、ね。
最終的に火が通らないから電子レンジしたよ。
文明って便利。\(^o^)/

最近寒い日が続いていましたが、
いつのまにか2月も後半戦になりましたね。
今週は、月曜日の、えるちゃんライブと
りこちゃんの一日ラーメンを楽しみました。
・・・バレンタイン?
そんなのありましたっけ?\(^o^)/

男だったらラーメンだよね。
みんなもっとラーメンイベントしてほしーなー。



今週も引きこもって暮らしていたわけですが、今週はとっても衝撃的なことがありました。

今月の電気代、2000円切ってたんですけど。\(^o^)/

すごない?\(^o^)/
この極寒の時期を2000円って。\(^o^)/

まぁ、おうちに暖房ないし、電気代なんて、パソコンとテレビしか実質使ってないんだから、男の一人暮らしなんてこんなものですよね。\(^o^)/



そんな一人暮らしの私は、引き続き自宅で料理を楽しんでいますよ。\(^o^)/

近所の商店街で買った牛肉のステーキ。\(^o^)/

オーストラリア産だけど、300円なんだよ。すごない?なんか怪しさ抜群だけど、とりあえずすごくない??\(^o^)/



でも、最近マイブーム?で、暇だから本屋さんで立ち読みが流行ってるんだけど、危ない食品シリーズ。が、めっちゃ面白いんだけど。

とりあえずあの人たち?全員スクラロースが嫌い過ぎ。\(^o^)/あと、ヤマザキパン嫌い過ぎ。\(^o^)/

で、なんでもかんでも危険だって言い始めて、最終的には、お茶もダメって言われたから、なかなか生きづらい世の中だよね。\(^o^)/

あと、最終的にどうやってその食べ物が危険かどうかを判断するか?って、食べてみて美味しいもの。って、書いてあったり、とりあえず高いもの。って、書いてあって、そういうの・・・好き。\(^o^)/





と、いうことで今後の予定です。

2月26日(日)

キャシさん@ライムライト
ふうたん@クラムカフェ

3月3日(金)

ノマド@ヴィランジェ


3月4日(土)

ふうたん@ロイパ

3月5日(日)

ふうたん@会議

3月13日(月)

ふうたん@コクリア

3月19日(日)

ストフェス

3月29日(水)

ふうたん@マーキュリー(たぶん)

4月14日(金)

ふうたん@マーキュリー(たぶん)

4月16日(日)

ふうたん@メレ

4月22日か23日

ハンプトンコート(たぶん)


あれ?ふうたん好きすぎるね。\(^o^)/

でも、アンダンテも結構行ってるんだよ。

それではまた来週。\(^o^)/



日本に帰ってきたら一番初めに何を食べたい?なんて、海外に行った人が良く話す言葉があるが、特別これが食べたい。と、いうものは、あんまり記憶にないな。って、思う。

お母さんのご飯が一番。なんて、ありふれた言葉が世の中にはありふれているけど、正直言って、私の母親のご飯はまずい。

一応?栄養士の資格を持っているが、栄養士と料理の腕は別物だ。B型で(と言ったら偏見だが)ずぼらな性格の人間がそもそも料理を美味しくするのは難しいのではないかと思っている。

最近自分でも料理をするようになって気づいたのだが、料理って、本当に面倒くさい。ひとつの料理を作るのにも、事前に洗ったり、むいたり、ゆでたり、切ったりの工程を経て、初めて料理に取り掛かれる。

もっと前を言えば、そもそも食材を買いに行って、毎日飽きられないメニューを考えなければいけない。食材だけでなく、もしかしたら使用するかもしれないたくさんの調味料などもそろえておかないといけない。これは確かに重労働だ。

そして、その料理を喜んでくれる相手がいれば別だが、あいにく、ローズの家には、何を食べても味に興味が無く、部屋に引きこもって食べる父親と、何を食べても文句を言う、海原ローズしかいなかった。「こんな家では何も食べちゃいけない、うまいとかまずいとかいう以前の問題だ!この豚バラ煮込みは出来そこないだ、食べられないよ。」

そんな中2病のローズ氏にも初恋の季節はやってきた。小学生のころにもあの女の子可愛いな。と、思う女子はいたのだけれど、可愛いな。と、おもうくらいで特に何も生まれなかったし、生もうともしなかった。

あこがれの?相手はふじもとさえちゃん。今思えば何が好きだったのかはわからないけど、たぶん、きっと、確かに好きだった。

中学校のお楽しみの定番といえば、どきどき席替えゲームがあるが、皆さんの学校ではどういうルールでやっていただろうか?

くじ引きだったり、じゃんけんだったり、先生が勝手に決めたりと、種類は色々あったと思うが、席替えは、私たちにとって限られた狭い世界における大きな楽しみのひとつであった。社会人となった今思い返せば、人事異動の一環だ。

中学2年生のクラスでは、男子は男子だけで席を話し合いで決めあい、女子は女子だけで決める。と、いう謎のルール?で席替えが行われていた。

私以外にもきっと意中の相手はそれぞれにいて、相手がどこに座るかを予想する。と、いうある意味カイジのEカード並みの高度な心理戦であるのだが、ローズは実はいつも
座る席は決まっていた。

ローズの指定席は、前から2番目の一番左端か右端。建前上の理由は、目が悪いから前の方が嬉しい。と、いう理由。もうひとつは、前に座った方が意外に先生は注目していないので好きなことができる。と、いう二つの理由からだった。

隣でも、前でも、後ろでも。唯我独尊、ローズは常にローズなので、誰が座っても気にしないのだが、ある日、私はひとつのことに気づいた。

あれ?さえちゃん、いつもローズの近くに座ってない?

ローズは、引きこもりで人見知りな性格ではあるが、自分のゾーンに入ってくる人に対しては、それなりに真っ当な対応をしていた。
放課後の時間やプライベート?の時間に人と会うことは少ないけど、学校や職場など、開かれた?場所にいるときには、それなりに社会に適合していたと信じている。

最初はあまり意識をしていなかったが、何度か席が近くになるにつれ、私は彼女を少しずつ意識し始めていた。最初は特に意識しなくても気軽に話せていたのだが、中学2年生も終わりかけになると、だんだんと話すのが恥ずかしくなり、ある日の席替えでは、なんと、いつもの指定席以外の、一番後ろに座るという暴挙を試みた。

たまには違う景色も見てみたくて。などど、意味不明なことを言っていたが、究極のツンデレローズには、初恋などという社会的イベントに真っ当から立ち向かうことは、まだ15年くらい早すぎたのだった。

続く・・・。

>のえるちゃん

まさかののえるちゃんもブログ見ていたとは。
驚き。\(^o^)/

ブログ褒めてくれてありがとー。\(^o^)/
最近、ブランクあるのでいまいち微妙な文章だし、
10分以内の修正なしで書くことを目指してるので
荒いのですが、楽しんでくれて嬉しいです!!

のえるちゃんを見る機会がなかなかないのですが、
たぶん3月の1000円のライブで会えるのかな?

楽しみにしてます。\(^o^)/



バブルがはじけた日本は、徐々にニュースも暗いものが目立ち始めていた。私が小学生のころにはオウム真理教のサリン事件が問題になったし、ヒ素カレー事件の話題や、インドネシアあたりで飛行機が落ちたなんてことも話題になっており、そんな時期にインドネシアに行こうなんて考える中学生は、確かに珍しかったかもしれない。今でもそうだが、あのころだって、ジャパン・アズ・ナンバーワンの意識は子供に無意識に刷り込まれていたのだ。

出発の朝は確か月曜日だった。初めて成田空港の中に入り、国際線の出発を待つローズは、無意識で当然のように少年ジャンプを購入していた。

引率予定であったどこかの中学校の先生は、「それ、どうする気だ?」と、当然ながら問い合わせてきた。「いや、日本の文化を紹介しようと思って」中2病のローズ氏は、咄嗟の嘘が得意だった。しかし、実際にこれが大ウケだった。

当時はwindous95の発売によりパソコンブームが確かに日本に来ていたが、パソコンはあくまで家庭で楽しむもので、今のようにグーグル先生がなんでも教えてくれるなんて夢のまた夢の世界だった。なんなら「検索」なんて技術もなくて、個人から個人に直接URLを教えてもらい、直接打ち込まないとHPにたどり着けないような時代だった。

今だったら色々調べて他国の文化をある程度想像することもできただろうが、やはり行ってみないと何もわからない時代でもあった。
インドネシアでは、確かに日本の文化がヒットしていた。私が飛行機の中で読み終わったジャンプを渡すと、現地のホームステイの少年は、インドネシア語で書かれたドラゴンボールの単行本を渡してくれた。本当に大切にしていた宝物であろう「それ」は、読んで捨てるつもりの週刊誌と交換するにはなんだか申し訳ないような気持ちになった。

今思えば、翌週のジャンプを手に入れることすら必死になっていた私がいるのだから、その、はるか先の未来を知ることができたインドネシアの少年たちは、それはそれは幸せだったろう。逆に未来を見せすぎて申し訳なかったかもしれない・・・。

9泊10日の長い長い旅行だったが、正直そんなに記憶に残ったことはなかった。飛行機の手配から、ホテルの手配まで、ほとんど人にやってもらったからだ。決められたスケジュール通りで、自分で考えて動かないことは、人生の経験値としては大して得ることが
できない。

ただ、その反面、かなりの好待遇を受けたことは良い経験だった。日本赤十字が現地の人にとってどういう存在だったのかは謎だが、訪問する場所、訪問する場所、どこに行っても大人気だった。これにサインをしてくれ!と、熱烈に取り囲まれて、熱意があるのはいいことだなー。なんて、同じ年代の少年たちに対して、冷めた中二病ごっこのローズ氏は思っていた。熱量があればなんだってできるのに。

真ん中の3日間は、貴重な現地でのホームステイの時間だった。英語はそれほど得意ではなかったが、人間不思議なもので、長く英語圏で暮らしていると、自然と日本語より英語が出てくるようになっていた。帰るころにはむしろ、日本語ってどうやってしゃべるっけ?なんて感じだった。

習うより慣れろとよく言うがまさにその通りだ。人間、必要になればたいていのことはやらざるを得ない。

しかし、当時のローズ少年には当事者意識が足りなかった。今なら悔やんでも悔やみきれないほどの抜群の環境を自ら捨てていたのだ。最低限の訪問スケジュールなどはこなすものの、それ以外のオフの時間は、現地の少年たちと言葉を交わすことはしなかったのだ。
それどころか、一緒に日本から同行した中学生や高校生の仲間とも特に交流を深めるようなこともしなかった。コミュ障なんて言葉も当時はなかったけど、自由時間にずっと部屋にこもって三国志を呼んでいる少年は、コミュ障以外の何物でもないだろう。

しかし、コミュ障にも関わらずインドネシアまで行って引きこもるローズ。別の意味では大物である。

そうしてローズの中2の夏は終わっていった。



中学2年生といえば、当時はまだなかった言葉だが、いわゆる中2病の季節だ。もちろん私も例にもれずそれなりに中2病を患っていた。第3の眼が開眼したり暗黒のオーラをまといたいとは思っていなかったが、小手返し一手や絶対味覚を身につけたいな。とは、心ひそかに思っていた。

そして私の性質の悪いのは、妄想の世界だけに及ぼせばいい中2病が、少し現実世界の、学校や先生に向いていたところが今となっては恥ずかしい思い出だ。

いきなり話は変わるが、中学2年生は私が初めて海外に行くことになった記念すべき年だ。訪れた場所はインドネシア。関東とかの主催の赤十字の一環で、9泊10日くらいの大掛かりな旅行だったことを記憶している。

なぜそんな旅行に参加することになったかというと、応募したからだ。応募した動機は、赤十字の活動やボランティアの活動に普段から携わっていたから。な、わけがない。

ただ単純に海外行ってみたいなー。と、程度の軽い気持ちで、さしたる理念や理想もなく応募したら、何故か最後はくじ引きで決めるという運びになり、くじ運が悪い私がなぜかその時だけ選ばれてしまったという情けない話だ。

まぁ、中学生くらいのお子様がそんな崇高な理念など持つわけがないんだからそこは仕方がないとして問題なのはそのあとだ。

中2病を患っていた私は、飛行機代も研修代も飲食・宿泊費もすべてお世話になった赤十字の団体をあろうことか帰国後にひたすら批判をしていたのだ。

貧しい人を助けるために、こんなことをしても意味がない。もっとできることがあるはずだ。日本人は恥を知るべきだ。などと、学校の帰国後の全体報告会などで話していた記憶があるのだが、もう思い出しても恥ずかしい。恥を知るべきなのはローズ。お前だ。。。

当時は、素直に大人の言うことを聞くことよりも、皆が気づいていない社会の闇を批判することがかっこいいみたいなことにあこがれる時期だったのはわかるが、あまりにもお寒い中学生である。あの話を聞いたみんな、私のことどう思ってたのかな。。。

と、いう感じで一向に話が社会人にすら至らない私の履歴書。次回はいよいよインドネシア編。




ろーず部活やめるってよ。と、いうのは去年の話だったが、そのころ「おじさん仕事やめるってよ」と、いう話が聞こえてきたのは、確か同じくらいの時期の話だったろうか?

私には、父方にひとりのおじさんと、母方の方にふたりのおじさんを持っていた。父方の方も竜ケ崎市という20km程度離れたくらいの距離に住んでいたので遠いわけではないが、母方の叔父はどちらも同じ市内に住んでいたので抜群に交流が深かった。

仕事を辞めてしまったおじさんは、確か2~3年前にマイホームを建てたばかりくらいの時期だった。子供だった私でも、この人、何してるの?と、本気で思ったくらいである。
つとむおじさんは、「カスミ」と、いう地場のスーパーで勤めていた。茨城県以外ではあまり聞かないが、今調べてみたら、上場もしたことある、なかなかの会社であったと思う。

結婚したのも確かマイホームを買ったのと同じくらいの時期で、奥さんも同じ会社で働いていたはずだ。

最近、ブラック企業の問題などがニュースを賑やかしているが、確かに当時の仕事ぶりは、なかなかの激務だったと子供ながらに覚えている。確かおじさんも一度入院するくらいに体を壊していたのだから、新しい会社で働くのも悪くないかな?なんて思っていた。

次はどこに就職するのだろう?と、思っていたが、おじさんは、なんと、、、その後一切会社に所属することはなかった。奥さんをおそらく今でも働かせ、本人は何をしているかというと、、、おもちゃを集めていた。

当時は、なんでも鑑定団でちょうど古いおもちゃなどがにわかにブームになり始めた時期だった。

おじの家に遊びに行くたびに、輝かしいガラスケースの中には、(おそらく素晴らしいのだろうけど)古臭い怪しげなおもちゃが並んでいた。世間的には新築の家を買った新婚の旦那がするような仕事ではなく、子供ながらにコイツやべぇ。って、思っていた。

そういう業界には詳しくないので、おじさんがどの程度実力があるのかは謎だったかが、そおういう業界にはそれなりに知名度があるようだった。専門の雑誌にも載っていることはなんどか自慢されたが、それより奥さんの心境をインタビューしたいと個人的にはずっと思っていた。

ただ、時代は確かに彼に味方をしていた。世の中は、次第にインターネットが個人にも流行し始め、ヤフーオークションなどが流行りだした。

実際にどのくらい儲かっているのは不明だったが、それなりに食べていける分くらいの収入はあるようだった。しばらくしたら、ナニワ金融道に出てきそうないかにも怪しい若手のおにいちゃんが部下になっていた。

一見華やかに見える業界かもしれないが、実は地味な仕事の連続であることは、休日に一度仕事を手伝ってもらったことで記憶に深く残っている。

当たり前だが、こういう古物業は、商品を仕入れなくては売れないので、休日は田舎の雑貨屋さんや古民家を地味に回り、倉庫などにいらない商品が無いか見せて回ったりするのである。

また、田舎だと定期的に神社やお寺で古物市、フリーマーケットを行っているのでそういう場所を地味に回る。宝物に出会う可能性もあるが、大部分は私から見れば、ほとんどゴミに近いものをなんでこんなに買ってるのか?と、いう感じのことをひたすら繰り返していた。

おじさんの奥さんは、昔からなぜか私のことを可愛がってくれていいたのだが、今になってしみじみ思う。

あー。きっとたぶんおじさんに似ていたからだな。と。

父方も、母方も基本公務員の家系で、実際に、仕事をやめたつとむおじさんの兄であるひでおじさんは、郵便局で勤めていたし、今も勤務しているはずだ。

遺伝子のせいにするわけではないが、きっと私が仕事を辞めたのも、このおじさんの血を引いていたせいなのかもしれない。

あのころこいつやばいな。と、思っていたつとむおじさんの年齢は、確か30~35歳くだいだったはずだ。

ガラクタばかり集めていたとはいえ、曲がりなりにも自分で自分の食い扶持を稼いだおじさん。

私も自分だけの働き方を見つけられるのだろうか?




中学2年生になったが、基本毎日の生活はさほど変わらなかった。あえて言えば、勉強が難しくなってきたので、周りの成績が落ち始めて、相対的に自分の価値が上がったのが少し嬉しかった。

相変わらず勉強はほとんどしていなかった。授業中は先生の話はほとんど聞かず、半分は、妄想をしながらずっとひたすら時計を眺めていた。確か1時間が50分授業だったので、5分進むたびに、10分の1進んだぞ。やったね。とか、15分経ったら今日の三分の一が終わったぞ。25分だと50%だ。なんて考えていた。時間の無駄すぎる。

残りの時間はさすがにぼーっとするのも飽きるので仕方がないので、ひとりで教科書や資料集を読んでいた。自分で勝手に連立方程式を解いたりしてた時は、これ考えたやつ天才だなー。なんて思っていた。

学級崩壊。などという言葉はまだなかったものの、おそらくみんな思い思いに妄想などをしていたんだと思う。皆が真面目に授業を聞いていれば、もっと成績はいいはずだ。せっかくの若い時間なのに、なんて人生の無駄遣いをしているのだろうか?と、大人になると改めて思う。

今の子供たちだったらこっそりスマホでもいじっているのだろうか?そちらの方が一見有意義に思えるが、自分から情報をアクセスするのではなく、狭い世界で受け身の情報を受け取っているだけだったら意味がないな。とも、思う。クリエイティブじゃない。

思えば通学の時間もものすごい無駄だった。私の住んでいたところは、田舎なので小学校も中学校も片道30分はかかっていた。どんなに早歩きをしても20分だ。往復すると1時間ものロスになる。まったく運動をしない今の環境からすると健康的で素晴らしいのだが、少し時間が多すぎると思う。

だが、とはいえ人間は体を動かすと頭が動く傾向もあったりする。暇で暇で仕方がない環境だからこそ生まれるクリエイティブは確かにそこにあった。ただ、誰もがその無敵の力の活かし方を教えてもらえないだけなのだ。実にもったいない。。。

そんな無駄だらけの毎日だが、学校がある日の私の一日の楽しみの時間は、体育の時間と給食の時間だった。給食は、特別美味しいものではないはずなのだが、縛られた?環境で食べる味は、なぜか忘れられない味になるみたいだった。田舎の地域だったからか、おそらくお世辞抜きで美味しかったと思う。とりあえず、あたたかかったし。。。

個人的には好き嫌いが無いので、基本残さずなんでも食べた。友人には、これきらい。あれもダメー。と、いう人が多かったが、周りの余り物はどんなものでも好んで食べた。

さらには、ケーキやデザートの類のものと主食を交換するということも頻繁に行っていた。自分が成長期なのは自覚をしていたので、砂糖や栄養にならないデザートよりも肉や魚が身になると考えていた。デザートを喜んで食べるやつらを見て、こいつらバカだな。と、考える中学生だった。

おかわりももちろんした。おかわりは早い者勝ちのルールの時もあったし、一定時間ののちに食べ終わった人でのじゃんけんなどのルールの時もあった。

当然、デザート、肉、魚は、人気があるので、私は迷わず野菜や煮物など、人気がなさそうなものを狙っていった。

単純に人気の品を狙うと、負けた時に何も食べれない可能性もあるし、そもそも自分が勝ったとしても、別の誰かが食べられない。と、考える。それだけで争い事は、あまりやる気にはなれなかった。

食べ物に限ったことじゃないが、私は好き嫌いが基本的には少なかった。美味しい・まずい。と、いうのは、結局個人の主観であり、ほうれん草は、こういう味。にんじんはこういう味。と、いう客観的事実にしか感じられなかった。

問題は、それを「どう当てはめるか」だ。ほうれん草がほうれん草の味だからこそ活躍できる場を探す。それこそが醍醐味だと考えている。

肉や魚が美味しいのは当たり前だ。だからこそ、そこを消費しなければ、世の中に広くたくさんのリソースが回っていくはずだ。

世の中の偏りを取り除く人がもう少し増えれば。と、中学生の時から考える傾向はあったと思う。のちに転職エージェントとなるが、なかなか自分の性格には合致しているな。と、思う。




今日は久々?にライブ見に行ったら疲れちゃったので1回おやすみ。

1000円ライブ。値段的には1000円くらいがちょうどいいな。

冷静に考えると3000円って結構なご飯食べれるよね。

考えがいつもご飯換算。\(^o^)/

七瀬つばさちゃんだけ激カワだったけど、あとは可愛い子少なかったな。

顔には無頓着だけど、あまりにも可愛く無さすぎるよ。。。

別にプロじゃないから、そんなに可愛い必要はないけど、最低限・・・の可愛さか歌の上手さか、興味を引き付ける何かを持っていて欲しいな。

フロアのお客さんより、並行物販のお客さんの方が混雑している不思議。

今日もえるちゃんを応援するふりをしてせりさんを応援してました。

せりさんは今日も素晴らしかった。
おわり。\(^o^)/
気づいたら1週間。時間というのは早いものですね。最近寒すぎて、ほとんどおうちから出ていません。\(^o^)/家でご飯食べて寝て食べて寝て食べて寝てしています。\(^o^)/

唯一?最近頑張っているのが、洗濯ものとかお料理をきちんとやろうとしています。

なんでか?って、いうと、なんかこういうことをきちんとするのが生きてる。って、時間できるから?ですかね??

過去の私はほとんど家事なんてしていませんでした。一番ひどいときには、洗濯物を5kg2000円で外注していたし、ご飯はすべて外食なんて感じの生活をしていました。メイド喫茶に通うこともある意味、愛情の外注かもしれませんね。ただ、アウトソーシング全盛の今の時代。自分が得意なことでお金を稼いで、苦手なものは人にやってもらうのも良いですが、それだとなんだか「作っている」と、いう感覚に乏しいんですよね。

なんていうか、、、難しいんですが、効率化されすぎた生活だと、逆にそこに「生きてる」ということを感じない?

贅沢かもしれませんが、「成功」ばかりしていてもつまらない?と、いう感覚なんですかね?

とりあえずみんな私のホットケーキを見てほっとしたらいいよ。\(^o^)/




それでは今週の予定です。

2/13 えるちゃん@コクリア
2/17 りこちゃん@ラーメン屋さん
2/26 キャシさん@ライムライト

また来週。\(^o^)/

「来年のクラス、今のクラスと同じ生徒いないけど大丈夫か?」

1学年の終わり間近に担任に呼び出されたローズは、担任からこう聞いた。大丈夫かというと大丈夫であるけれど、そりゃせっかく仲良くなれた今のクラスの生徒がいるなら、そっちの方がいいに決まっている。でも、だからといってわざわざ聞かれてしまえば大丈夫と答えざるを得ない。それがローズの人生だったような気もする。

のちに社会人になった後、転勤については会社も形式上は毎回転勤の可否を聞いてはくれたものだ。そこで転勤を拒否することもできれば、拒否できないパターンもあるのだが、私の個人的な印象では、世の中、自分のわがままを貫くかアピールし続けたほうが得だなー。と、しみじみ思う。

もちろん毎回通るわけではないが、会社も頑として人事の希望を出して来ればそれなりに考慮をせざるを得ない。しかしながら会社の中の皆が希望するポジションというのはたいがい席が足りないもので、結局は人の良い人が、そういう貧乏くじを引いているような気がする。会社もそういう人を考慮すればいいのだが、なんだかんだでフォローは手薄い。最終的に、その人がどうであろうと、「会社」と、いう存在が困ることはないからだ。

ともかく、学校側の思惑がどうだったのかは不明だが、1クラス40人の中で、前のクラスと誰一人として一緒にならない。と、いう不可思議なクラス編成は回避され、前のクラスの生徒は2~3人いたようなクラスに配属をされたのが中学校2年生だった。

あの中学校は荒れている。あの学年は荒れている。なんて表現がされることがあるが、私が通っていた中学校の学年は、いたって大人しい学年だった。そもそも学校自体が県内随一の土浦第一高等学校に毎年30人くらいは合格していたし、学力の高さは、やはり品格にも相応に比例したような気がする。

塾では同じ小学校に通っており、今は別の中学校に通っている友人に出会う機会があったが、そちらの中学校は荒れていることで有名だった。違う環境に移った友人たちを見るたびに、違う環境で寂しかった。と、思うとともに、新しい環境に進んだのも悪くはなかったな。なんて思ったりもした。

では、荒れてしまうクラスや学年と荒れないクラス、学年の違いはなんだろうか?ひとつは、先生の力量。と、いうのも大事だと思うが、もうひとつは、生徒側にどれだけプラスの影響力を与えられる人間がいるかというところに尽きると思う。

自分で言うのもなんだが、ローズはクラスにおいてわりと全体的にプラスの影響を与える生徒になっていた。読んでいた漫画の影響からか、誰もが仲良く、誰もが活躍できる組織が好きだった。学校の時間が終わり、プライベート(?)の時間になればさっさと家に帰ってしまうタイプだったが、学校での行事ごとやイベントの時間はかなり積極的に参加すタイプだった。

よくよく考えれば今とそんなに変わらないなー。と、思う。仲良くなるためのきっかけ?や「場」があれば頑張るが、まったく自由な環境から自分で人間関係を作るのは得意ではなかった。しかし、これは日本人全体にいえることかもしれない。

そんなこんなで学校という組織に守られた平穏無事な中学校2年生の生活が始まっていく。




  
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