2025/04/30 (Wed)
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2017/03/12 (Sun)
私の履歴書27(58)
センター試験が終わると、大学受験は、基本的に孤独になる。学校には登校をしなくていいし、家族も変に気を使い始めるので極端なことをいえば誰とも話さなくなる。
当時は、PHSからだんだんと携帯電話が流行り始めた時期ではあるが、私は携帯電話を持っていなかった。今の子供たちは、携帯電話が手元にあり、いつでも、すぐに世界中にアクセスできる。なんて羨ましい環境だろうと思う。
私が「日記」というものを付け始めたのは、大学受験が本格化し始めてからだった。今のように、「ブログ」という形ではなく、本当に、真っ白な紙に、手書きで書き込むという、アナログすぎる方法だ。
今の子供たちや、大人たちがしているように、「誰かに見てもらう」だったり、「誰かに認めてもらう」と、いう感情とは程遠い。もはや、自分で自分をつなぎ留めておく、成立させる以外、世界が崩壊してしまうという感覚だ。
何が楽しいのか、何で書いていたのかもわからないが、とにかく毎日A4用紙に1~2枚くらいの日記をつづっていた。これが、ローズのひとつの原点だ。
この時期の日記以外の楽しみとしては、もうひとつが、ご飯を食べることだった。高1から始まった成長期につられて、ご飯を食べる量が飛躍的に上がっていたが、成長期が終わった高3の時期になっても変わらずご飯を食べ続けた。
当時としては、ご飯を作ることの大変さを知らないので、このくらい当然だと思って毎日を過ごしていたが、母親はだいぶ苦労をしたのではないかと思う。
例えば、餃子を作るとしたら、ローズは間違いなく60個は食べる。家庭で餃子を焼くといったって、1回に20個くらいが限度だから、3回分は、すべてローズのためだけに焼くことになる。
幸い学校には行っていなかったので、食事の時間は家族とずれていたが、母親は、2家族分の食事を作っていたといっても過言ではないだろう。そして味にうるさいローズなので、食費も相当かかっていたことだろう。今更だが、感謝をしたい。
そんな家族のサポートもありながら、ローズは、3月も勉強に励んでいた。「も」と、いうか、「から」というのが正確だし、結局一日8時間くらいが限度なのだが、それでも最後まで「続ける」ことができた。
しかし、ここでひとつ難題があった。それは、ローズの試験の合格の可能性が極めて低いという事実だ。
前期の東工大はさておき、後期に選択をした東京農工大学というところも、それなりにセンター試験の点数が必要だった。後期で必要な点数は、81%。しかし、ローズの点数は、約73%で、素点的には、70点くらいの開きがあった。
後期の試験は、900点満点だったので、ここから逆転をするのは、ほぼ絶望に近い。サッカーで言えば、前半が終わって3-0。野球で言えば、6回裏まで終了の時点で5-0くらいの感覚だ。
今思えば、私はなんてあほなのだろうと思うし、この進路を選択した私を止めなかった学校側にも腹が立つ。親もいったい何をしていたのだろうか?
しかし、再度記載してみるが、そんな絶望的な状況でも最後まで「続けた」ことは、素晴らしいと我ながらに思う。
高校受験でうすうす気づいていたが、自分は「天才」じゃないな。って、思っていた。本当の天才は、単純に「処理能力」が高い。計算能力の速さも、正確さもないし、図形などの空間把握能力も低い。暗記する力もないし、記憶の保持能力も低い。結局は、「試験」という形式から、色々推測し、選択肢を絞り込み、少しでも得点をあげる「技術」と「勢い」でごまかしているだけだった。
そのことは、高2のS特進コースに入った時からわかっていた。この人たちには、才能的に生まれつきながらに勝てないんだな。と、いうことが。それでも、なぜ続けてきたのかはわからない。でも、続けてきたことによって「勝てた」のも事実だ。
高2から高3の時期は多感な時期なので、女子などは彼氏を作って、勉強がおろそかになるケースが多い。男子だって、彼女を作るケースもあれば、音楽やバンドなどの趣味に走るケースもある。私も別に無趣味だったわけではないが、少ない時間でも、毎日継続して勉強を続けていたら、いつの間に成績は相対的に上がっていた。特別なことはしていない。当たり前のことを「続けた」だけだ。
当たり前のことだが、「誰だってサボりたい」のだ。だから、「続けていれば」才能が無い人間にも、意外にチャンスは回ってくる
国立後期の試験も同じだった。実は後期の試験は、欠席率が50%以上に上るケースが多い。これは、前期の試験で受かった人間は受けられない。と、いうケースもあるのだが、実は、もう受験というものに疲れてしまって、2月に私立が受かっていれば、そこで妥協してしまう。と、いうケースが多いのだ。
国立後期の試験は、自分にとって、人生で最もパフォーマンスを発揮した「ベスト」な一日だった。
普段は、テキトーに名前を書いてふらふらと問題を解き始めるのだが、その日だけは、あまりの緊張で、手が震えて名前が書けなかったことを覚えている。
文章を読もうと思っても、何度も同じ行を読んでしまい、最初の5分は落ち着くことで必死だった。
しかし、5分すぎたくらいからは、次第に試験に集中することができ、いつもはあいまいに、あやふやで、勢いで、ごまかしていた箇所が、急に理解できる感覚に陥った。今までバラバラに積み重ねてきた知識や経験が、その場ですべてつながる感覚だ。
点数開示をしていないが、自分の感覚ではおそらく満点に近く、悪くても90%くらいは取れたんじゃないか?と、感じていた。
事実、合格をしているので、それに近い点数は、取れていたのだと思う。
早い生徒は、2月の中旬には、進学先が決まっているのに、ローズが進学先を決めたのは、3月20日前後だろうか?
ローズは、こうして、念願だった初めての一人暮らし、初めての東京生活を送ることになる。
当時は、PHSからだんだんと携帯電話が流行り始めた時期ではあるが、私は携帯電話を持っていなかった。今の子供たちは、携帯電話が手元にあり、いつでも、すぐに世界中にアクセスできる。なんて羨ましい環境だろうと思う。
私が「日記」というものを付け始めたのは、大学受験が本格化し始めてからだった。今のように、「ブログ」という形ではなく、本当に、真っ白な紙に、手書きで書き込むという、アナログすぎる方法だ。
今の子供たちや、大人たちがしているように、「誰かに見てもらう」だったり、「誰かに認めてもらう」と、いう感情とは程遠い。もはや、自分で自分をつなぎ留めておく、成立させる以外、世界が崩壊してしまうという感覚だ。
何が楽しいのか、何で書いていたのかもわからないが、とにかく毎日A4用紙に1~2枚くらいの日記をつづっていた。これが、ローズのひとつの原点だ。
この時期の日記以外の楽しみとしては、もうひとつが、ご飯を食べることだった。高1から始まった成長期につられて、ご飯を食べる量が飛躍的に上がっていたが、成長期が終わった高3の時期になっても変わらずご飯を食べ続けた。
当時としては、ご飯を作ることの大変さを知らないので、このくらい当然だと思って毎日を過ごしていたが、母親はだいぶ苦労をしたのではないかと思う。
例えば、餃子を作るとしたら、ローズは間違いなく60個は食べる。家庭で餃子を焼くといったって、1回に20個くらいが限度だから、3回分は、すべてローズのためだけに焼くことになる。
幸い学校には行っていなかったので、食事の時間は家族とずれていたが、母親は、2家族分の食事を作っていたといっても過言ではないだろう。そして味にうるさいローズなので、食費も相当かかっていたことだろう。今更だが、感謝をしたい。
そんな家族のサポートもありながら、ローズは、3月も勉強に励んでいた。「も」と、いうか、「から」というのが正確だし、結局一日8時間くらいが限度なのだが、それでも最後まで「続ける」ことができた。
しかし、ここでひとつ難題があった。それは、ローズの試験の合格の可能性が極めて低いという事実だ。
前期の東工大はさておき、後期に選択をした東京農工大学というところも、それなりにセンター試験の点数が必要だった。後期で必要な点数は、81%。しかし、ローズの点数は、約73%で、素点的には、70点くらいの開きがあった。
後期の試験は、900点満点だったので、ここから逆転をするのは、ほぼ絶望に近い。サッカーで言えば、前半が終わって3-0。野球で言えば、6回裏まで終了の時点で5-0くらいの感覚だ。
今思えば、私はなんてあほなのだろうと思うし、この進路を選択した私を止めなかった学校側にも腹が立つ。親もいったい何をしていたのだろうか?
しかし、再度記載してみるが、そんな絶望的な状況でも最後まで「続けた」ことは、素晴らしいと我ながらに思う。
高校受験でうすうす気づいていたが、自分は「天才」じゃないな。って、思っていた。本当の天才は、単純に「処理能力」が高い。計算能力の速さも、正確さもないし、図形などの空間把握能力も低い。暗記する力もないし、記憶の保持能力も低い。結局は、「試験」という形式から、色々推測し、選択肢を絞り込み、少しでも得点をあげる「技術」と「勢い」でごまかしているだけだった。
そのことは、高2のS特進コースに入った時からわかっていた。この人たちには、才能的に生まれつきながらに勝てないんだな。と、いうことが。それでも、なぜ続けてきたのかはわからない。でも、続けてきたことによって「勝てた」のも事実だ。
高2から高3の時期は多感な時期なので、女子などは彼氏を作って、勉強がおろそかになるケースが多い。男子だって、彼女を作るケースもあれば、音楽やバンドなどの趣味に走るケースもある。私も別に無趣味だったわけではないが、少ない時間でも、毎日継続して勉強を続けていたら、いつの間に成績は相対的に上がっていた。特別なことはしていない。当たり前のことを「続けた」だけだ。
当たり前のことだが、「誰だってサボりたい」のだ。だから、「続けていれば」才能が無い人間にも、意外にチャンスは回ってくる
国立後期の試験も同じだった。実は後期の試験は、欠席率が50%以上に上るケースが多い。これは、前期の試験で受かった人間は受けられない。と、いうケースもあるのだが、実は、もう受験というものに疲れてしまって、2月に私立が受かっていれば、そこで妥協してしまう。と、いうケースが多いのだ。
国立後期の試験は、自分にとって、人生で最もパフォーマンスを発揮した「ベスト」な一日だった。
普段は、テキトーに名前を書いてふらふらと問題を解き始めるのだが、その日だけは、あまりの緊張で、手が震えて名前が書けなかったことを覚えている。
文章を読もうと思っても、何度も同じ行を読んでしまい、最初の5分は落ち着くことで必死だった。
しかし、5分すぎたくらいからは、次第に試験に集中することができ、いつもはあいまいに、あやふやで、勢いで、ごまかしていた箇所が、急に理解できる感覚に陥った。今までバラバラに積み重ねてきた知識や経験が、その場ですべてつながる感覚だ。
点数開示をしていないが、自分の感覚ではおそらく満点に近く、悪くても90%くらいは取れたんじゃないか?と、感じていた。
事実、合格をしているので、それに近い点数は、取れていたのだと思う。
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