キャリアアップ プリンセス☆ローズの目指せプロご主人様への道 私の履歴書42(73) 忍者ブログ

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2017/03/29 (Wed)
私の履歴書42(73)
2003年の冬も終わりに近づいていた。世間が定めた大学というわかりやすい道からわざわざ世間の人が知りようもない道を強引に歩き始めてからちょうど1年経ったころ。そろそろローズにも、この1年の審判が下されようとしていた。

まず、2つあった目標のうち、フジテレビ大賞の方はダメだった。当然ながら一緒の放送作家塾に通う人は、軒並みこの賞に応募しているのだが、賞を取れなくても見込みありと思われた人は、直接ディレクターの人に呼び出されて仕事のやり取りをしていた。と、いう話を聞いたので、はしにも棒にもかからなかったのだろう。

ただ、その呼び出された人も将来を見込んで。と、いうよりは、ほとんど雑用などの使い捨てのような仕事が多かったようだ。

数年後、私の出した企画によく似通ったものをフジテレビで頻繁に見かけたが、おそらくこの賞自体は、本気で作家を育てるというよりも、夢をダシにした便利なコマを探したり、使えそうなアイデアを吸収することが目的だったのかもしれない。


もうひとつの目標の作家コースからの成績優秀者についてだが、こちらはわりと自信があった。なぜなら、企画の立案数も同期の中では一番提出をしていたし、仲間内の評判も高いものが多かったからだ。

本音を言えば、作家コースを運営している事務所は、わりと固い事務所(企画よりライターより)なので、あんまり行きたくないんだよなー。と、贅沢ながらにその時は思っていた。

ちなみに当時、私と同じく、この人は採用されるだろうという人物がもうひとりいた。この1年で私が一番仲良くさせてもらった戸田。と、いう人物だ。

コース全体の受講生の年齢は、20代中盤から後半がボリュームゾーンなのだが、私が20歳で一番若く、戸田くんはひとつ上の年齢で私たちは非常に気が合った。

戸田くんが、放送作家になろうとした理由は、「山川恵里佳に会うため」という、半ば冗談のような理由だった。

見た目は、「オタク」というのはこういう人だよね。と、いうツボを押さえた外見で、大柄な体格にメガネをして、歩くたびにいつもふーふー息を吐きながら汗を流すような風貌だった。

おそらく学校ではいじめか何かにあったのだろう。そこを救ってくれたのがエリカだった。と、よくわからないことを言っていた。

ただ、父親は社長か何かをやっているらしく、かなり高級そうなワンボックスカーを乗り回していた。都内の一軒家に住んで自分の車を持っている時点で破格の金持ちだろう。まるで漫画のような人物だ。

大学に行くわけでもないローズは、企画会議と称して、一日中戸田くんと電話で話をしたり、車で都内の色々な場所に遊びに行ったりした。大学の演劇部の人たちとも気はあったが、やはりテレビが大好きで、どこにも所属してない不安定な存在で、一緒の夢を目指している。と、いう時点で戸田君と私のシンクロ率はすさまじく、もはや体の関係が無いだけで、二人は付き合っている。と、いう親密ぶりだった。

「若い」というのは素晴らしいと思う。お互いがお互いを褒め合い、これは最高だよね。と、いう企画を勘違いしまくって出し合っていたのだから。

私は戸田君が絶対採用されると思っていたし、戸田君も私が絶対作用されると言ってくれていた。しょぼい事務所だけど、二人で早く独立しようぜ。などと、いつも夢を語り合っていた。


結果は、二人とも落選だった。


その理由の真偽はわからない。当時、若さゆえの勘違いをしていた。と、いうことを除いても、二人の企画はそれなりに良かったし、若かったので質だけでなく量も出せたと認識している。

あえて言えば「はまらなかった」というのが正しい表現だろうか?実際に採用をされたのは、すでにハガキ職人として実績を残していた人と、ちょうどM1が始まった時期に「M1なんでヤラセだから意味ない」と、文句を垂れながらも、自分もM1の三回戦まで進出をしていた東京では知名度のある芸人さんだった。

おいおい。作家コースの内容じゃなくて、それ以外の実績で採用するのかよ。と、当時は思っていたが、今となっては、それは正しい判断かもしれないと思っている。

なぜなら放送作家には「資格」など無いからだ。俺は放送作家だと言い張れば、それはその時点から放送作家になれるわけで、事務所に所属をしたり、賞を取ったりするよりも、実績を残してなんぼなのだ。

当時はまだまだ流行だった、トレーディングカードゲームのアイデアだしをしたり、オールナイトニッポンのやらせとして電話出演したり、「紹介された」しょぼい仕事だけをこなして1年で稼いだ報酬は「6000円」だった。お金が実力を表すならカス中のカスだろう。

こうして私の短い夢は幕を閉じた。


ちなみに私と仲の良かった戸田君だが、その後も放送作家を目指し続け、実は現在もプロの作家として活躍をしている。年収は300万にも満たないくらいだが、自分のやりたい仕事でお金を稼げるのは非常に素晴らしい。と、4年前くらいにお茶をしたときには嬉しそうに語っていた。

事務所の推薦に落選した戸田君は、その後どうやって作家になったかというと、自分で企画書をいくつもの作家事務所に持ち込み、そこから自力で仕事を勝ち取ったらしい。

それが作家になるための方法だとしたら、私たちは何のためにお金を払っていたのか。と、いうことになるのだが、お金を払うとはつまりそういうことだ。

誰かに何かを期待しても誰も何もしてくれない。やりたいことは、自分の力でこじ開けることが、手っ取り早い方法なのだ。これは、メイド喫茶に通うことも、アイドルの現場に通うことも近いものがあるかもしれない・・・。

さらに戸田君の後日談を語れば、戸田君は、念願の山川恵里佳の出演する番組の台本を自分で書き、最終的に夢の対面を実現させたらしい。

If you can dream it, you can do it.
夢を見ることができれば、それはきっと叶う。

ディズニーの名言だが、確かにそうだな。と、最近思う。
皆が夢を実現できないのは、そもそも夢が無いからなのだ。

どんなに小さな夢でも、馬鹿げた夢でも、真剣に願い続ければ、意外に叶うのではないかと思う。

あの時の私の情熱が確かならば、きっと1年に限らず実現するまで継続し、いつか夢を叶えていたかもしれない。

若い貴重な青春の1年をささげて学んだことは、長い人生の中での小さな真実のひとつだった。
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